社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

やっぱりわからない

anond.hatelabo.jp
増田とは違う意味で「推す」という感覚がわからなくなってきた。
付き合いの長い人なら、自分が此処数年しょっちゅう「推し」についてあーだこーだぐだぐだ言ってるのは御存知かもしれない。
最初のうちは好きなバンド・好きなメンバーを「推し!」と言えていた、だけど他のファンの「推し」具合見てたら私なぞ「推し」とは呼べない・・・という気持ちになって戸惑っている。
なんかすごいじゃん、好き好き好き好きー!って物理的に表現する熱意とか。
ただ「好きだから聴いてるし情報追ってるしこーやっておばか日記書いてるSNSで呟いてる」で済んでないような。
そして、ブコメ

なにが「ファン」でなにが「推し」なのか、その違いがあれば知りたい

にそれな!ってなってる。

友人達と遣り取りしてて「好き」にプラスした感情を表すのに「推す」が便利、という話が出て、言われてみれば自分もそう思うわ。
そういう話をほぼ毎回して「ワシはワシ」と納得してるのに、発作的にモヤモヤするのは何故だろう。
「推し」は人それぞれ違うし違ってていい、違うけど言葉は同じだから意図がズレるのが厭だからか。
「好きだから音楽聴いてます雑誌読みます写真かっこよかったら喜びますでもエピソード読みたいです楽器やります(挫折もしますが)」も「推し」だし
「ライブ全通します課金しまくります祭壇作ります最前で観ますファンサ貰ってます」も「推し」、
「ゆるっと好きで応援してますお蔭様でめっちゃ楽しんでます」も「推し」。
おリキさんが凄過ぎてほええ~あのレベルでないと「推し」と言えないのか、と一瞬思うが「いやいやいやいや」と頭から振り払う。
でも「推し」という一つの言葉で表す内容が人それぞれ過ぎて意図がずれてくる、そして”引っ張られる”のがしんどいなぁと思ってしまう。
スタンスが違うなりに「そうなんだ、面白いな」と思えて仲良く出来る人は良いのだけど、必ずしもそういうのばっかりじゃないから。

あとブコメ

ファンである事を通じて自己アピールすることのように思う

とあって、「だからモヤモヤしてたんだ」と気づいた。
此の”自己アピール”は「好き」以外の感情を含む、中には無意識にマウント取ってるよな・・・という。
そういえば最初に「推し」についてモヤモヤし始めたのがスタンスが違い過ぎる人に遭遇した事なんだが
其の時に「あ、無意識にマウント取るタイプか、此の人は」と一瞬過ったのを思い出した。
人のこたぁ言えないだろう、自分も。
そんな心算は全く無いのだけども。

只「ウチかて好きって言いたいんや!」と思う事はある、何よりそんな自分が厭だ。

いい加減気にし過ぎるのを止したい。
でも、もう暫くモヤモヤするんだろう。

幸い、自分の「推し」は「御自分の無理のない範囲で応援してくれたら良いですよ」という人なので有難い。

※9:06 追記
個人的には「推し」という言葉自体に経済活動のニオイはあまり感じていない。
「推し」が普及する以前からオタクは何かとお金は掛かってましたし。
ただ、「推し活」って銘打って商売にされまくるのはあまり気持ちの良いもんじゃない、と思う。
そして繰り返しになるけどそういう部分も含めて「推し」が表す/持つ意味が広過ぎる、其れもしんどいなぁ、と。