社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

怖ガラセ屋サン

朝、時々「バスが来ない」と呟いている。
不思議と其の一言を呟こうとするとバスが来るんである。
呟く途中でバスが来る事もあるので、実際に呟いてる1.5倍位「バスが来ない」。

「怖ガラセ屋サン」(澤村伊智/幻冬舎文庫)読んだ。

不本意ながら幻冬舎(恒例)。
ご家庭、スピリチュアルの現場、いじめ、怪談ライブ、パパラッチ、病院・・・色んな所に表れる”怖ガラセ屋サン”。
容赦無い。
(でもスプラッタアな方向ではないので血ダバァが駄目な人でも大丈夫、多分)
「怪談ライブにて」は独白する”客”もぶっ刺すと思ってた。
あんがいお優しい。
澤村さんのお考えになる「恐怖」とは、を小説にしたらこうなるんだろうな。
怖いのは人間でも幽霊でもない、其れだけじゃない。
”明日になったらひょっとして”、自分が認識して暮らしていけている”今”が崩れるのも恐怖。
安心しきっている所に不意打ちを食らわされるのも、思い出せないのも違う記憶も封じられるのも封印を解かれるのも、恐怖。

或る意味、自滅してるような気もする。
悪い奴、自分は大丈夫だと思ってる奴が次次と”怖ガラセ”られていく。
ざまァ。
そういうのを読者は嬉嬉として読んじゃうんだよね・・・悪趣味な。
そういえば”怖ガラセ屋サン”がやってくるのは病院以外、ゲスゲスした場所だ。
他の患者の元にやって来る人について想像したりするのはゲスゲスしてると言えるか。
勧善懲悪なようで、でも救いが無かったりする。

また何処かで”怖ガラセ屋サン”に会えるだろうか。
こういう1話完結で、ぐだぐだ言ってる悪い奴が酷い目に遭う話は好きなので、シリーズ化して読めたら良いな、と思う。
いや、会いたくないわ、怖いよ・・・続くと信じてる、信じたい”今”が崩されるのは怖い。
そうやって”高みの見物”みたいなノリで読んでる我々の近くにももしかしたら”怖ガラセ屋サン”が居るかもしれない。

ところで”怖ガラセ屋サン”の名前にも意味があるのだろうか・・・。
或いは語られる話の順番。
なんぼでも深読み出来る、でももしかしてなんも無かったりして・・・そういうとこでも手玉に取られている、かも。

「本が好き」にも書いたよ!→ほい