社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

推し、燃ゆ

“推し”に嫌われる事について、所謂“推し”の立場から書かれたnoteを見た。
思い当たる節が複数あって、其れはもう致し方ないとして、今後に繋げていかねばと考える。
一方、読んだ人の中には落ち込んでる人もあるようで、そちらに関しては嫌われる事を嘆くより“好き好き好き好きパワー”の置き場を工夫する方が良いのではなかろうか。
某レ氏が挙げたのは多分また別の問題と思われる。
とは言うものの、最近“捕捉”されないのは快く思われてないからかもしれない。

「推し、燃ゆ」読んだ。

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

単行本ではなく文庫待ちせず、文藝春秋で読んだのは講評を読みたかったからである。
芥川賞直木賞の講評好きで。
某おわってちゃんの人の時は酷過ぎてわろた。あれは直木賞候補だったから「オール讀物」だっけか。
今回割と優しいな、尾崎世界観はもっとボロカス言われてるかと思った。
ちゃんと作家として評価した上で「君ならもっと書けるだろう」と言ってる感じ。

さて「推し、燃ゆ」本体はというと。
ガチ勢が推しを愛でて心の支えにして、失っていく物語。
但し”自分の推せる範囲”で推しており、ガッツさんからすればゆるゆる生ぬるいだろう。
そりゃガッツには足りないだろうこのレベルだと。
だけどこのゆる加減だから小説として切り離せるんだと思う。
ガッツの事は小説にしなくてよいのだ。
フィクションより彼女達自身の文章の方が良い、下手なフィクションより良い。

恋愛でもなく崇拝というにはフランクで近い。
「推しの存在を愛でること自体が幸せ」だけど背骨と言える位人生で大事な、存在する事自体が”当たり前”の存在。
生きづらさを推しの存在で押し切る。乗り切る。
でも或る意味”究極の片思い”なんだと思っている。
触れ合いたいとは思わなくても、接触イベントには行くのでしょう。
恋愛ではないが、思いは一方向、そして失うと此処までドラマティック。
他人としてこの話を読むから「ドラマティック」って言えるんだけど、本人にしたら身を切るどころじゃない。
あかりは推しきって真幸の最後とその後まで見送った訳だが。あんまり出来ん事のような気がする。
そうなるまでに推し変担降りしなかった分、彼女の人生の半分と同化してたんかもな。
そりゃでかいわ。

推しは複数ある方が、とはよく言ったもんだ。

割とゲスゲス人間なんで何で推しがファン殴ったのかの方が気になった。主題とは関係ないのは解っているが。
彼女バレ、物理的精神的距離感無し子がうざかった、アイドルが厭になった・・・色々想像してみる、多分全部違う。
一つ言えるのが、逮捕されたり急に消えたりせず、別れの場があるだけ良かったんじゃね?
それと、あかりが今後どうなるのか、どうしていくのか。
どう”推し”の喪失を乗り越えていくのか。
作中にメン地下アイドルと繋がったコの発狂も見たい。闇やら何やら深そう。。。
そういう「推し、萌ゆ」自体じゃなく、其の先や其の周辺の物語を読みたい。

その他文藝春秋読んで。
・「菅総理よ、異論を聞く耳を持て」は確かにそうかもしれない、だがお前が言うな!
・知念さんとこと感染記だけはみんな読んどけ
・・・って、もう次号出てるような(^_^;)

どうでもいいニュース:
一部のファンのコの心理をちょっと垣間見たような気がした。