社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

怪談屋怪談

何らかの現象について「目撃してから開運した!」と個人の心の中で喜ぶのは良いのだけど
安易に神様扱いして矢鱈とTVでわあわあやるのは大丈夫なのか。
もしオカルティーな現象なら尚更。
物理的にどう考察するのか知りたくて観ていたが、怖くて気持ち悪くなってTV消した。

「怪談屋怪談 怖い話を知り尽くした18人が語る舞台裏と実体験」(川奈まり子笠間書院)読んだ。
「本が好き!」献本で頂いた分。

応募する時に

以前より実話怪談をよく読んでいますが、読み進めていくうちに怪談が語られる背景というものにも惹かれるようになりました。普段拝読している怪談師さんも、初めましての怪談師さんも、どう怪談を聴き、集め、書いたり語ったりしているかを知りたいです。

とコメントした。
怪談に関わる人の裏話が読めるかと思っていたのである。
「“書かれたくない”話を書こうとしたらパソコン壊れたりするやないですか、あれは何回経験しても厭ですねェ」みたいな。
裏話其の物ではないが、怪談を書く/語る方々がその裏側で体験された怪談が収録されている。
各章毎に川奈さんの怪談、各怪談屋の紹介と怪談。
”怪談屋による怪談をテーマにした怪談アンソロジー”である。
選りすぐりの怪談と言えよう 。
通常のアンソロジーなら其其の怪談師の方がお書きになったものが其の儘掲載される、なので書かれ方も人其其。
一口に”怪談師”と言っても語る方、書く方、撮る方と様様、中には占う方、伝統を受け継ぐ方もいらっしゃる。
なのでスタイルからして様様である。
そんな彼等の話を川奈さんのひんやり、抑制された文章で読めるのである。
其の統一された冷静さがまた怖さを唆る。
過去に読んだ事がある話もあるけど、また違って怖くなるから不思議である。

怪談自体も怖い/面白い/興味深いのだが、紹介部分、此れがまたもう。
取材対象となる怪談屋の皆さんが何故怪談に惹かれ、扱うようになったかという経緯自体も興味深い。
小さい頃から好きだった方もあれば、廻り巡って辿り着いた方もある。
古典怪談だと、能、落語、講談から怪談へ・・・という方も。
それも読んでいて面白い。
まるで怪談に潜む何者かに導かれたかのような・・・。
ぁみさんの紹介の「さあ、”怖い”を楽しもう」ってUSJか!と思わずツッコミを入れてしまった。
深津さんは紹介文の初っ端にさらっと怖い話あるやんか!どゆこと?
北野さんについてはプロフィールで「サイキック青年団」に触れられていてちょっと安心した。
お盆頃に番組でやってた怖い話特集がほんまにガチで怖かったんで。
浜村淳に怪談・都市伝説の印象が全くなかったので意外。
関西ローカルのAMラジオって地味に怪談強かったんだろうか。
ラジオ関西でもやってるやんね、確か。

というような事を「本が好き!」に書いたよ→こちら

で。
柳家花ごめさんの紹介の中で

実話怪談界隈には、話を盛ってはいけないとする風潮があるけれど、そこにこだわりすぎると面白い話が出来る土壌が痩せてしまいそう。

という御本人の話が引かれているけれど、自分は必ずしもそうだとは思わない。
怖さ、エッセンスを伝える為の工夫として結果として”盛れて”しまうのなら良いけれど、最初から”盛ろう”とするのは違うと思う。
其処で盛らないと面白くならない怪談は果たして怖い/面白いんだろうか。
話自体を玩具にしてるようで厭だな、と。
あと敢えて名前挙げないが、「謂れを傾聴する」割にやらかしてなかったか。
鎮魂の意味を込めて作られた物を”呪物”扱いしてしまって物議醸してたんじゃあなかったっけ。
お詫びされていたけども・・・。
其れは本来の”鎮魂”の意図が、人の手を経る事で離れてしまって”呪物”という違う意味を持ったって事なんだろうか。
でも作った方や其の身内の方が知ったら厭やろね。
「怪談屋怪談」の趣旨とは外れるんだけど、話題になった時に凄くモヤモヤした件なので。
そういう意味で”怪談”というのは取り扱いが難しいと思う。
語る/書く側が気を付けていても、聴く/読む側が受け取る時に意図が変わってしまう事もあるだろうし。
此の本に登場する方々は、其其のやり方で真摯に語る/書く方ばかりで良かったと思う。
因みに「語る/書くと障る話」もある、そういうのは敢えて虚の性質を持たせる事で”外す”そうである。(城谷さんの話によれば)

どうでもいいニュース:
怪談自体ではないが「怪談に関わる人の裏話」インタビューも読んでみたいと思う。
城谷さんの話で少し触れられているような、どんな書き方をして”障り”を避けつつ怖さを伝える工夫をしているのか、とか。
企業秘密かな。