社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

結 妹背山婦女庭訓 波模様

面白くて「此れは良さげ」と思った本の読み方があったのだけど、本に付箋貼るの、ちょっとまずくないか・・・?
自分の本、かつ一生剥がさないのなら大丈夫なんだろうか。
(印刷された部分だと其処が剥がれる、そうじゃなくても紙に糊が残って悪さするんだそーだ)

「結 妹背山婦女庭訓 波模様」(大島真寿美/文春文庫)読んだ。
sociologicls.hatenadiary.jp
「渦」の続編。
登場するのは近松半二に魅せられた人、門人、娘・・・等等。
半二の大きな渦からは色んな人や物語の小さな渦が相互に結び付いていたのである。
必ずしも浄瑠璃を書き続ける人ばかりではない。
歌舞伎作者や読本作者になる人、一度浄瑠璃から離れるけどもまた書き始める人、浄瑠璃等を作る人を支える人。
人間、何処でどうなるのか解らないもんである。
半二の娘・おきみも。
敢えて自分で浄瑠璃を書くんじゃなく、浄瑠璃作者と話をし、アドバイスしたりヒント与えたりする、其の浄瑠璃との距離感が良かったのかもしれない。
こういう人達が居たから、文化って花咲いていったのかもしれない。
文化の種ってのは、大切に寝かせてる人以外の所から咲くのかもなぁ。

何でもかんでも直ぐ恋愛にならないのも良かった。
近いとこでくっついたの離れたの、って地味に嘘臭い。
そうじゃないのが生生しい、リアルだ。

其れにしても好きが高じて絵・義太夫の才能を見せる平三郎はいいオタクの有り様である。
家業の造り酒屋潰して寂物屋(古い茶道具を売買する店)にしちゃったけど・・・其れも結果オーライなのか。