社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

現場者 300の顔をもつ男

8月末に花森書林と荒野に行った話を書こうと思って書き損ねていた。
花森書林は企画展「トンカ書店×花森書林 -はじまりは2005年-」を観に行って色々買ってお店の方にどうでもいい思い出話をしてきた。
荒野は9月に閉店する前に、と。
以前一度だけ行った、其れだけなのに閉店すると聞くと寂しくなって。
折角なので「前から買おうか読もうかどうしようか迷っていた本」を幾つか買ってきた。

「現場者 300の顔をもつ男」(大杉漣/文春文庫)読んだ。

荒野で買った本のうちの1冊。
「一体何人いるのか?」と言われた大杉さん御自身の話だけじゃなく、映画・演劇についての貴重で面白いエピソードが沢山語られている。
時間・リソースをたんまり掛けられていた時代の話、と読んでいる時には思ったが、よくよく考えたら時間やリソースが限られていても、其の中で全力で楽しんで演じてはったんやろな。
滅茶苦茶過酷に思える、読んでいて「うわあっ」となる。
そんな時でも凄く楽しそうである、其れは有名な監督の映画でも高校生の映画でも同じ。
「役と自分の境目をはずす」という考え方が面白かった。
あくまでも”自分”は在る、其の客観性がええんやろな。
いかついようでお茶目な方だとは思っていたが、渋チャメさんの学生服や赤帽の下りはふふってなった。

亡くなられてからもう5年経つのか・・・。
ニュースで一報を知って「『バイプレイヤーズ』やってんじゃん!」って思ったのは覚えている。
「絶対、現場で死ぬよな」って色んな監督に言われた話や、うかつに現場で死ぬわけにはいかないと仰っているのを見ると何とも言えない気持ちになった。
現場ではなかったけれど、ロケ先ってほぼ現場じゃあないか。
最後に「特別寄稿」として収録されている奥さんの文章も読んでいて切なくなった。
お若い頃にノートに

寂しいとは口にするな
「死んだ」でいいのだ
「死んだ」でいいのだ

と書き残されていたというのが、また。
セキセイインコが死んだ朝の言葉なのだそうだが、『「死んだ」でいいのだ」』というのが渋くてかっこよくて、でもそんなことないよぉって言いたくなる。