社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ケアしケアされ、生きていく

台風がチンタラチンタラしてるから、出勤出来るか有給休暇取るかどう備えるか悩ましい、ただ土日の予定が潰れる事だけは確からしい。
こぉんなにチンタラチンタラしてたら、うちのオカンに「ちゃっちゃとしなさい!」って怒られるで。

「ケアしケアされ、生きていく」(竹端寛/ちくまプリマ―新書)読んだ。
何故か尼から情報が取れない。。。
「他人に迷惑を掛けてはいけない」と必死になって自分のケアが出来てないよね・・・という。
「他人に迷惑を掛けない」というのは「自分の魂に迷惑を掛け続ける」事、言われてみれば確かにそうだ。

最初にジョアン・トロントという政治学者が「ケアには5つの種類がある」と述べているのが紹介されている。

1.関心を向けること
2.配慮すること
3.ケアを提供すること
4.ケアを受け取ること
5.共に思いやること

だそうだ。
此の内「共に思いやること」について考察していくような感じだろうか。
物事の考え方について、対象化して客観的に分析する「~について考える」about-nessと、関連付け・相互作用を大切にして相手の話をまるごと受け止めてどんな事が心に浮かぶかを話し始める、という「~についてあなたと私がともに考え合う」with-nessという2つがあるのだそうだ。
with-nessの場が保証されている、気に懸けてくれる他者の存在があれば良いけど、不足してるんだろうな、という。
違いを知る対話、他者には自分に知り得ない他者性があるよ・・・って、確かに今足りなくって、とても大切な事である。
最近は“共に”が欠けてるのかも知れないな。
お互い様。
抱え込み過ぎたりする人がある一方で、聞かずに一方的にぶちまける人もある(此れわたしだ・・・)。

ただ、読んでいてモヤモヤしてしまった。
「共に思いやる」には物理的にも時間的にも精神的にも余裕無いのかもだ。
じゃあ何で出来ない、出来なくなっちゃったんだろう・・・。
わたしだけ、あなただけ、わたしとあなただけ、が「共に考え合おう」としても、社会の或る程度の規模で其れが成立しなければ、やっぱりしんどいまま、自分を押し殺してしまう事になるのでは・・・と思った。
難しいね。