社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

聞く力 心をひらく35のヒント

「周りのママ友に人気だから此の人が良い」ってワイドショーのコメンテーターがニュース解説コーナーで言ってるのもどうなんだか。
そういうイメージに引っ張られて酷い目に遭って来たんじゃないのかい、特に関西は。

「聞く力 心をひらく35のヒント」(阿川佐和子/文春新書)読んだ。

以前「話す力」を読んで面白かったので、「聞く力」も読んでおこう、と。
sociologicls.hatenadiary.jp
自分の話を聞いて欲しくない人はいない。
”相手を見る”のは「話す力」と同じである。
「聞く」と「話す」は相通じるものがあるのだろう。
「質問を1つ用意する」も「話す力」で書いてはったな、ただ心配なので柱は3つ(でもほどほどに)とある。
事前準備も程程にし、相手の話に集中する。推し量る。
自分ならどう思う?
相手の作品・業績に関心を向けるのは、確かにそうかもしれない。
そういえばギタリストにギターの話、ドラマーにドラムの話を振るとめっちゃ楽しく会話してくださる。
其れも作品・業績なのかな。
相手の大切な部分、本質に近い部分なのかもしれない。

会話は生もの、流れるものなんだな。
「こういう話をしよう」「ちょっと今は止めておこう」と考えていても、会話していく中で変わってくる。
そして先入観に囚われない、意外性を発見する。
阿川さんは会話の流れや相手の肝を把握するのに長けてはるんかもしれない。
こうやって話を伺っていると「わかる」「確かに」って思う、だけど実際誰かと会話する時に何処迄相手の事を掴めるか。
インタビューなら予め相手の情報を集めておく事が出来る、日常会話では其処までやらない、会話の中で相手がどんな人だったか思い出したり把握したり、どういう意図を持って話をしてはるんか掴めたら良さそうである。
出来るかな?

あと、安易に「わかります」と言わない。
気持ちは重ねる、寄り添おうとするけど同じになろうとしない。
確かに大事だ。
(さっき「わかる」って書いちゃったけど)
色んな気持ち・考え・感情を「わかります」で纏められたら辛い事もあるかもしれない。

其れにしても書かれているエピソードがどれもめっちゃおもろい。