社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

病が語る日本史

安かったしふかふかしてそうだからちいかわトイレットペーパーを買った。
使う度心が痛む、あとあんまりふかふかしてなかった。

「病が語る日本史」(酒井シヅ/講談社学術文庫)読んだ。

遺跡から出た骨・遺物や史書から、各時代に流行った病気や其の対応、歴史上の有名人の病気や死因を追っていく。
医史学、古病理学という学問があるのは初めて知った。
縄文人の病気、怪我の様子が解る(推測出来る)の、すごい。
病気で奇形・障害が残っても結構長く生きていけたらしい。
「家族の愛情に恵まれた生活があった」と分析しておられるが、一方で奇形が神格化されることもあったそうで、有難いからこそ大切にするんやでって事では?とちょっと思った。
崇拝する事で、他の人とは違っていても一緒に生きていこうねって事だったのかもしれない。

新コロに絡めて此の本に興味を持ったんだが、医学的な話だけじゃなくて物の怪、陰陽道庚申信仰等が出てきて面白い。
どの時代にも、外からの文化流入や集落間の交流から病気の往来へと繋がっていく、という事があったようだ。
仏教伝来時も、最初は疫病流行と結び付けられて「仏教信仰を許すから疫病が流行するんじゃないか」と言われたり。
時代が下って来ると疫病・飢餓・災害に際して読経されるようになった。
あと疫病が発生したら祈禱・読経だけじゃなく医薬や金品を与えるという事も。
徳を積む、みたいな感じなんだろうか。

奈良時代から平安時代になると病気は物の怪の所為!という事で医者の治療よりも祈禱で治そう、となる。
嗜めた天皇もあったそうだが、「いやいや今起こってる災害避ける為には陰陽道必要だって」と広まっていった。
藤原道長は糖尿病だった、という話もあるが「胸が痛む病」もあって狭心症か心臓神経症だったかも?らしい。
祈るしか無かったんだろうな。
此れが武家社会になってくると「武力で決着するぞ!」という事で物の怪思想みたいなんは消えていく、でも民間では江戸時代頃迄残ったとか。
一方、室町時代には「病は虫の所為!」となり、江戸時代になれば西洋医学も入って来る。
エライ人や金持ちには其れなりの医療があって、パンピーはそういうのが受けられなくても祈ったり迷信信じたりして乗り越えて来た。
死ぬ時はめっちゃ死んでるけど・・・。
明治以降には結核やペスト等が蔓延する。
ペスト対策はすごい頑張って食い止めてた、著者が「日本人はペストの恐怖感を十分体験しなかった」とお書きになる位。
あとぶった斬られた後の手当てが上手くいかなくて回復しなくて・・・とか。
トンチキじゃなく、案外いい線行ってる対応も取ってたっぽい。
色んな病気があったんだろうけど、此の本で追っていくと「病が語る日本史」というのは伝染病との闘いの記録なのかもしれない。

伝染病に関しては其の時々で「費用は予備費からいくらでも出すから万全の策をとるように」「家主・五人組で気をつけて医者に診せたり世話をしたりせよ、費用は町入用で立て替えて後で奉行所から支払う」等、上も頑張ってたんだな。
令和も新コロ対策で色々費用出してくれてたけど、なんかケチってるように見えるな・・・。
当時の人達に「ええですね、ちゃんとお金出して貰えて」と愚痴ったら「せやろ」なのか「いやいやそうは言ってもなかなか払って貰えなんだ」なのか。
ちょっと考えた。
うんと未来の人から見たら、令和の「ワクチンは毒!なんちゃらかんちゃらの陰謀!」「塩で何でも治る!」みたいなのも「仏教信仰するから病気蔓延すんねん」みたいなのとあんまり変わらないのかもな。。。
疱瘡除けの錦絵も令和のアマビエ有難がるのと類似してるのかも。
人間は根本的に変わらないのかも、でも1つ1つ困難をクリアして前進もしてる。
変わらない部分があるからこそ、戻りたくはない。

あと、がんで亡くなる戦国武将って結構居てはってんな。
武田信玄徳川家康ががんって知らなかった。
そういう症状を文献から追っていけるのも凄い。

面白いって言うのも何なんだが・・・面白かった。
事例集としても面白い。
こういう本を読んでおくと、時代物読む時の参考になりそうである。