社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

別冊音楽と人 チバユウスケ

「別冊音楽と人 チバユウスケ」(音楽と人)読んだ。

ミッシェルのデビュー当時からのチバ単独のインタビュー記事集。
「Gb」「snoozer」等他誌に記事もある。
持った感じがバンドスコアっぽい。縦書きだから方向違うけど。
チバ単独だけど、ベンジーや増子兄ィとの対談も。
市川さんがチバのインタビューしてたよー!わーい!

リアルタイムで読んでたら「生意気なやつ!」って思ったのかもしんない。
前説(?)で「”てめえこの野郎”と思わせる発言が頻出してるが、だからこそリアルなんだと~」とインタビュアーが納得する事にしてはる旨書かれてるインタビューもある。
でも今読むと「あゝチバだなぁ」「確かにめんどくさいわな、色々ごじゃごじゃ(時には関係無さげなどうでもいい事も)聞かれて言葉で答えなきゃなんないの」と思う。
言いたい事、伝えたい事、何故其の歌を作ったかは聴いたら解るだろ(解れ)、何も別途言葉にして説明しなきゃならないって事もないだろ、という。

ミッシェルの頃は段段翳り、不穏さも見え隠れしてくる・・・。

途中、読んでて「うわあ」ってなったやつあったが、インタビュアーがタナソーだった。
そういやあマジマジと読んだ事無かったわ、タナソーの文章。
(「snoozer」は立ち読みした事あったけど、其れも1回位だ)
面白いけど読むのがしんどい、 或る意味直近の「ROCKIN'ON JAPAN」の「拓也、どう?」みたいなやつよりアチャー (ノ∀`)ってなった。
此のテの文章は読み慣れてると思ったが無理だった、てか“平林無かった事に”ニュジおじさんと仲が良い訳だよ此の無駄な拗さは似てる。

ずっとそうだったんだろうけど、希望を音楽にして歌い続けて来た人だったんだな。
The Birthday以降はより顕著なような。
良い年齢の重ね方だったんだろうし、色んな事がありすぎたのもあったのかもしれない。
そんな事を考えながら読み進めて行くと、2009年のインタビューで「未来なんてもんはクソだと言ってましたけどね」と言われて「だんだんこの歳になると、見えてくるものがあるよね。そしたら歌詞も、少しは変わってくるよ」って仰ってて、成程。
如何にもロックミュージシャン、バンドマンとしてかっこつけてます!じゃない、素なのにめちゃくちゃかっこいい。
どんなにクソな世界になっても、チバからはまだ希望が、愛が見えてたんだろうか。
クソだから歌にして世界中に伝えたかったのか。
独りで音楽やるんじゃなくて、誰かと演りたかったのか。
そして音人での最後のインタビューはSNAKE ON THE BEACHだったとは。
神様、どうにかならなかったんですか。
せめてThe Birthdayでももう1枚・・・もっと出て欲しいけど、其れを我儘と言うなら仕方ないけど、他のメンバーが「チバくんだったらどうしてたかな」等と考えるんじゃなくチバが直接関わった状態で、アルバム出させてくださらなかったんですか。
「死ぬまでやるよ」って死ぬまでロックしてはったけども。
ちょっと早すぎやしませんか。

新鮮な気持ちだったり、「あー此の時読んでたわー」だったり其の時々のチバに触れられたのは良かったけど、年齢の事、此の先の事、「俺は141まで生きるから」って箇所は読んでて辛かった。
そういうのは古希記念インタビューで「あの頃『141まで生きる』って言ってましたよね」って若いインタビュアーにツッコまれて欲しかった。

ところでネット記事が増えてきたら、どうなるんだろうね。
こういう本に出来るのか、リンク集になるのか。
サイト自体が終了してたら記事ごと消えてしまう。
かといって魚拓・アーカイブから起こしてくるのは色んな意味で難しそうである。。。
此の本だって、音人(特に金光さん)のチバへの、チバの愛というロックを愛した人達への”愛のおかえし”だったんだろうと思う。

どうでもよくないニュース:
TOSHI-LOWさんは”としちゃん”呼びしてはったんか。
バーチー・としちゃんの仲。
いかつさのある御二人だから、なんかふふってなっちゃう。