社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士

浴室の電球が切れたので、脱衣場の灯りを間接照明にしてお風呂入っている。
寛げて良いな・・・でもついねむねむぼんやりしてしまう。

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」(丸山正樹/文春文庫)読んだ。

草彅くん主演のドラマが、そろそろ放送なのかな・・・ググったら12月放送。
韓国でも映画化するそうである。
仕事・結婚に失敗した男・荒井が手話通訳士となり、法廷通訳を行っているとNPO代表が来て専属通訳をしないか?と依頼が。
荒井に一体何があったのか、難関である手話通訳士にするっと合格したのは何故か。
過去に関わって来る事件、現在起こった事件。
ミステリーとして面白いのだが凄くシンプルだと思う、其の本筋に絡まる要素がボリューミーである。
手話やろう者に関わる話だけでも幅広い、更に親子関係、離婚後の夫婦の有り様・・・等等。
何れも大事な話である、物語にも読んでる我我の社会認識にも。
読んでいてあちこちに引っ張られる、一体何処迄行っちゃうんだろうかと思った。
手話については「Scripta」の連載で日本の手話でも複数あって文法からして違う、という事を知っていた。
ドラマに登場する手話、歌いながら歌詞を手話で表現する事等、当事者にとっては気分の良いものではないそうである。
(もしかしたら「気分の良いものではない」どころじゃないのかも、上手く言えないが)
どうあるのが良いのかは解らないが、先ず「知る」事が必要だと思う。
「あとがき」で「『ろう者』や『手話』を理解する入口になれば」と仰った作者に「では、出口を探してください」と返された話があるが、入口が解らなければ出口を探す事すら出来ないもんな・・・。

其れにしても、何でどちらかが覇権を取ろうとするんだろう。
其の人の特性や置かれた環境で使い分ける事は難しいのだろうか。
聴覚にハンディを持つ人達の中で個人差ではない差(どっちの方がどうのこうの、みたいな)が生まれるのも変な話だな・・・と読んでいて考えた。
知らないから安易にそう考えてしまうのかもしれないが。