社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

民俗のこころ

溺愛モノって読んだ事ないけど、読んでて「そんなに溺愛されて良いのだろうか?裏があったりしない?嵌められない?」って不安にならないのか気になる。
あと嫁だのなんだのイエ制度に縛られなくて済む時代に「嫁」「許嫁」が流行るのも不思議だなぁと。

「民俗のこころ」(高取正男ちくま学芸文庫)読んだ。

家のありよう・・・土間・座敷や家族が使う食器等から「ワタクシ」「オオヤケ」を考察していく、という感じだろうか。
ゆるゆる読むにはちょっと歯応えがある、
1972年に出た本だが、此の時点で既に「直接の体験談として聞けない」って話になっていたのか。
所所にあるエピソード(実例)が興味深くて良い。
織物会社の女工さんの慰安旅行の引率の話とか。
女教祖と山女は「雲泥のへだたりがある」と書かれているけど紙一重、どちらにもなり得るのかなー、と思って読んでいた。
本来の意図とはちょっとずれるけど、”主婦”について今迄とは違う印象を持った。
其の家で一番”偉い”のは主婦なんだな。
シャモジ渡し、センタク渡しの話が出てくるけど、家にいらっしゃる神様を祀り、家庭の構成員への気遣い(其の日の仕事を考慮してご飯の量を配慮する等)をして上手く回るようにする。
姑が嫁に渡すのは、「此の人ならうちの事を任せられる」と見込んでの事。
(何時迄もシャモジ渡ししなかったら姑批判・嫁応援の唄が歌われたりするんだそうだ)
主婦、嫁姑、家にいらしゃる神様といったシステムは生活を上手く回す為に良く出来たシステムだったんだな、ただ活用するには善意みたいなもんが必要。
悪意、嫉妬みたいなものがあれば回らない。
そして時代の流れに合わなくなるかも、自然に合わせていける家もあるんだろうけど。
そうなっていった時に、誰かが聞き書きして其の時代の民俗として記録を残していくんだろうか。

あと読んでいて祖父んちのトイレに謎宗教のお札が貼ってあったの思い出した。
あれも”便所の神様”の一環だったんだろうか。

そういえば各地を訪ねて実際に暮らしておられる方から話を聞き、まとめ、考察していくという手法は道民の人さんがされている事だ。
今だと推しについて其の真っ只中から観察・考察するのも民俗学かも知れない。
Orangestarさんのエントリ拝読していてそう思った。
orangestar2.hatenadiary.com
”推し”について、今迄読んだ中で一番腑に落ちる内容だった。
(本とは関係ないんだけど、凄く良いエントリで友人知人に紹介したいなぁと思ったんで、此処に書いとく)

どうでもいいニュース:
自分の頭の中身、考えた事が上手く出力出来なくてつらい