社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ぐるりのこと

漸く浴室の電球届いたんで交換した。
明るい通り越して浴室が真っ白!・・・でもついねむねむぼんやりしてしまう。

「ぐるりのこと」(梨木香歩新潮文庫)読んだ。

以前友人に梨木さんのエッセイをお勧めして貰ったな、と「荒地」行った時に思い出して買ったけど、其の時と違う本。
(そっちはそっちで今度読もう)
色んな土地を訪れ、色んな人に出会う中で考えてこられた事が書かれている。
茸の観察会の指導者の方の「自分のぐるりのことにもっと目を向けてほしい」という言葉から此のタイトルになったそうである。
書かれているのは、広いぐるりだ。
自分のぐるりに目を向け続けて鍛錬詰むと、広いぐるりになるのかもしれない。
ぐるり初心者は、先ず手始めに美しい硝子細工を見て素直に「なんてきれいなんでしょう!」「今日は素晴らしいものを見た!」って言える人間でありたい・・・等と考えながら読む。

「境界を行き来する」では通りすがりの人やお隣さん、そして世界情勢に於ける”境界”について考察されていく。
・・・のだけど、考察の次元超えちゃってんだろうか、今。
共感しよう、解ろうとする、駆け引きする・・・そう考える事すら放棄して「ワシ等が良かったらそれでええんや」的な力でグイグイ押し退けて境界も駆け引きも潰していく奴が権力持ってる時代に。
其れでも解ろうとする心は持っていたい。
「隠れたい場所」も、すとんときた。「隠れている」という事。

あと、「大地」読んでて思ったんだが、言葉にしようとする時に気持ちが乗り切らない事もあるんではないだろうか。
気持ちが乗り切らないというか、言葉にしようとフォーカスすればする程ぼやけていく。
無理矢理発したら嘘臭い、「関わって」いない言葉になるのでは。
其の良し悪しは別として。
”自分のぐるり”を見回してみると、最近は「白か黒だ!白って言わない奴は全部黒のどクソ野郎だ!」みたいな発言がよう流れてる。
が、そう割り切れないからみんな悩むんでは。
白寄りの黒、限りなく黒い白、白も黒もみんなクソと考えてもそう言葉にする事が許されない、でも言及しなくても責められる。
ますます気持ちを発せられなくなって、弱い所に八つ当たり的にぶつけるんでは。

少し気楽に読める本を、と積読から掘り起こしたが全然そんな本ではなかった。
文化の違う人達に、どれだけ寛大でいられるだろうか、そんな事を考えた。

どうでもいいニュース:
検索すると映画の「。」付いてる方が出てくる。
おや?と経緯見たけどちょっとモヤる。