社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

狂言サイボーグ 増補新版

朝ストレッチしてたら肩がグキッ・・・
SHI・JU・U・KA・TAってコト・・・?

狂言サイボーグ 増補新版」(野村萬斎ちくま文庫)読んだ。

何で”狂言サイボーグ”なのかというと、狂言の稽古というのがプログラミングされる事、なのだそうだ。
弟子は師匠から代代伝わる「型」を口伝により覚えていく、師匠の物真似をしていく。
此れを「プログラミング」と仰っているのである。
意思だの個性だのの前に、先ず「型」を体に植え付けていくのだそうだ。
なので「自然体」の演技も「型を身につけているデジタルな演技」(p.190)だそうだ。
そうは言っても人間其其違う身体、そのまま写すんじゃなく「師匠と同じ感覚をもっていることも重要」だとか。

「能狂言 鬼滅の刃」観に行った時の事を思い出しながら読んだが、そうするとちょっと意外なような気も。
sociologicls.hatenadiary.jp
無惨さん洋装だし、特に狂言部分はフランクな感じで初心者でもするっと楽しめる感じ。
だから「伝統も大切にするけど新しい事もどんどんやっちゃいましょー!」ってなノリなのかと思っていた。
完全に「型」がプログラミングされて確立され、更に他のジャンルのお芝居の経験を積まれてるから、新しい狂言をやってもブレないんだろうな。
・・・って読んでたら、他ジャンルに交わるのも伝統だというお話も。
此の本をずーっと読んでいくと、海外公演や他のお芝居の話も沢山出てくる、其れ等全てが狂言に還元されているようだ。
「頑ななのではなく、常に良いものを追究するために部分部分を交換してゆくようなイメージ」(p.154)・・・成程。
鬼滅の刃」だと、”演じる”事だけじゃなく”漫画”という表現手段と交換された事があるのだろう。

あと狂言というのは身体が大事なのだな・・・と。
何事も大事といえば大事なんだけど、先ず立ち方。
そして日常の振舞いを許さない。
だから舞台の上に非日常が在ったのか。

面白かった。
他の狂言の演目も観たくなった。