社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

僕の心はすっかり縮んじまって 肝心の言葉さえ出てこない

そろそろ上半期の振り返り、みたいな時期ですけども。
・・・と書きかけたまま、気づけば今年ももう残り少なくなってきた。
色々と振り返る前に一旦書くなり吐き出すなりしておこうと思った話がある。
何故か自分がダメージ食らっている。自分でもよく分からない。

バンドのギターさん亡くならはった。
レダケ。

レダケ。だけど、新コロ前は至近距離で観てきた、一緒に演奏した凄いギタリストやからな。
フリーダムに弾かはる方で、そういうのがめちゃくちゃかっこよかった。
自分にもっと技量があれば、気持ちよく合わせていけたんだろうけど。めっちゃ鍛えられる感じ。
ソロ回しは全然ダメで「ほんまあかんねんなー」って言われたけど、其の時はベースさん不在でベースパートを鍵盤で弾いてる時だったんで「え、ベースソロどうしたらいいん、ベースソロ弾いた事無いし、鍵盤で、うええ!?」と狼狽えていたのだ、と言い訳したい。
鍵盤でも苦手だけど。
ジャムるのは良いけどソロ回してこないで派でした。
なので新コロ以降は4人で集まらなくてもドラムさんとええ感じにジャムってはるんやと思ってた。
久しぶりに集まった時に、がんだとお聞きした。
「武藤さんと同じやつですよね?」
だったら手術で良くなると思ってた。
残念ながら、同じだけど手術が出来なかったそうである。
でも何やかやで、もう何回かは御一緒出来ると思ってた。
其の日「またねー!」って、此の先「またね」が何度もありますようにって手を振って別れた。
「またね」は何度も無かった、もう1回だけだった。
インスタをフォローさせて貰ってたんで、そちらではちょっと交流があった。
言うてもライブ行ったとかそんなような話、「ライブ行ける位にはお元気なんだな」「城活してはんねんな、良かった」とは思っていた。
今年の頭に凄い不安そうな事postしてはって、其処に凄いバカな、脳内お花畑なコメントをしてしまった。
其の時に初めて状況を知った。
言葉の掛けようが無かった、何も返せないままだった。
「ごめんなさい」って返せばよかった。
自分の人生、そんなのばっかりだ。
悲しいし、寂しい。
もうちょっとだけでいいから、一緒に演奏したかったし、生身でもSNSでもお話をしたかった。
若者のすべて」のソロ弾いてはるん観たかった。

自分がバンドに入った時に「周りのフジファブリックファンが皆んな去ってしまった」なんて言ってたら「嫁さんと話合うかも」って取り次いで下さった。
奥さんとはちょいちょいフジの話だけじゃなく色んな話をさせて貰ったり、ライブの時にお話ししたりお茶したりしてた。
其の繋がりで、奥さんから「旅立ちました」と連絡を頂いた。
3月の頭の話である。
ベースさん、ドラムさんには自分から連絡して、其の日はLINE上でスタジオ入った音源聴きながらギターさんの話をしていた。

アルカラワンマン観に行ったのが、そういう精神状態の時で。
バンドでやってる音楽とは或る意味真逆だからと思ったが、ステージ見たらレスポールテレキャス
ギターさんがメインで使ってたのがレスポールで時々テレキャス、どっちが良いかな?みたいな話をした記憶がある。
音が違うし、アルカラはキメが多くて構成もがっちり決まってるんでやってる事は真逆なのに、思い出してしまった。
かーらーのー「生きていたら〜」にみんな強いと思った。なんかようわからん。
弱いよ、後悔ばかりだよ、自分は。

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で、3月からずっと書いたり消したり放置したりを繰り返していた。
どう気持ちを吐き出していいのか解らない、どう書いていいのか判断付かない。
あと、書きかけたタイミングでチバや吉井さんのニュースが流れてきたり、たまたま読んだ本ががんの話だったりして「うああ」ってなってた。
久しぶりにスタジオにドラム叩きに行ったら、バンドで何度も入った部屋で、「あのマーシャル使ってはったな」と思ったり。
タイトルはくるりの「尼崎の魚」から、確か1回くらいは一緒に演ったと思う。

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そういう話が続く歳なんだろうか。
有名人も自分の友人知人その他でも。
そういう歳なんだとしても、なぁ。
未だに何とも言えない気持ちのままである。