「秋の日は釣瓶落とし」とはよく言ったもんだが、今年は気温も釣瓶落としやんね。
「化け物心中」(蝉谷めぐ実/角川文庫)読んだ。
芝居小屋・中村座で新しい演目の台本前読みに集まった6人の役者と作者と座元。車座になっている真ん中に生首が転がり落ちて来た。そして肉片。
鬼が食ったらしい・・・果たして鬼は誰に成り代わったのか。
謎を解くのは元・女形の魚之助と鳥屋の藤九郎。
魚之助は足を”ちょっきん”されている、なので藤九郎が魚之助を背負ってあちらへこちらへ。
初っ端から役者に夢中の女子達がキラッキラ鮮やかである、当時如何に芝居が大人気だったかが解る。
そして何故藤九郎が魚之助の元に呼ばれるのか、こうなったのかが語られる。
面白いけど、ちょっとまどろっこしい。
・・・と思ってるうちに読み切ってしまった。
すごい。
現場に遭遇した役者達に事情を聞いて回る辺りまで乗り切れば、後は一気に読めた。
2時間ドラマ並みに愛憎・欲望が渦巻いている。
全員が芝居に関わる人じゃないのがミソなんだろうな。
以下若干ネタバレ。
人と人のぶつかり合いなんだな、芝居とは。
其のぶつかり合いの中で人は鬼にもなってしまう。
綺麗な感情だけでは人の心は動かない、だけど演じる為に虚実の境目を越え、人でなしな事も誰かを陥れる事も出来てしまうのが怖い。
其処迄しないと役者は出来ないんだろうか・・・というのも、裏テーマかもしれない。
魚之助は足の事もあってか芝居から離れてしまった、だが未練もありそうである。
芝居に出たとしても、見世物小屋に並べられた海豹みたいな観られ方をするかもしれない。
そして普段から女性として暮らしているが、果たして男と女の境目とは。
役者の業みたいなもんを感じた。
鬼が一番きれい、というのは何だか切ない。
もしかしたら此の事件を経て、人間の感情の一部に触れた鬼は一層芝居に磨きを掛けたのかもしれないが。
因みに生首だの鬼だのってトリックなんでしょ?と思っていたが、そういう話ではなかった。
ところで、歌蔵の下りは一体・・・。
読み落してしまったんだろうか。