「日常的な延命 ~『死にたい』から考える~」(小川和/ナナルイ)読んだ。
「本が好き!」の献本で此の本を見かけて読んでみたくて応募した。其の時の一言。
自分でも「何でだろう」と思う一方、希死念慮がどうしても抜けません。この本を読む事で「死にたい」と思う事等について改めて考え直して「何でだろう」の答えを見つけたいです。よろしくお願いいたします。
昔から希死念慮がある、ほんとに何で希死念慮が抜けないんだろうなと思う。
今は世の中がクソ過ぎて生きてるのしんどくなってきた、というのもあるけれど。
此の本では幾つもの例を挙げながら、「死にたい」気持ちについて考察していく。
「死にたい」気持ちがどう発生するのか、そしてどう”日常的な延命”を行い、対処していくのか。
考察する事で切り分けが出来る、其の事がとても役に立った。
そのメカニズムを理解し、対処するヒントが本書にはある。
死にたい時って、どうも変に考え込んでループしてしまい、下手すればうごうごと悪い方向に思考が偏ってしまう。
そういう時に「死にたい」とはどういう状態なのか、其処からどう切り分けて日常的延命を図ればよいのか。
こうやっておばか日記を毎日つらつらと書いているけども、実は其れも効果があるんだそうだ。
習慣を作って、継続して(評価いらなーい)、他者との交流にも活かす流れを作っていく、という行動。
他の誰かにとっては、ひきこもり移民してみよう・・・というのは難しいとしても一旦嫌な環境と距離を置いてみるのが効果的かもしれない。
筋トレで「死にたい」を遅らせられるかもしれないし、カフカや本書で紹介されている作品に触れてリアクションする事が何らかのケアになるかもしれない。
ただ「死にたい」事をメインに取り扱うので、「死にたい」の文字自体がトリガーにならないとも限らないので幅広く強くはお勧めしづらいな、と思った。
予防的に読むには良いのだろう。
・・・という感じの事を書きましたよ。→ほい
以下、余談。
こないだ「手元にあるという事は今読むべき、しかし恩師の『本当に必要な本はどんなに難しい本でも不思議とするする読める』説で考えると必要とはしてなさそうっぽい」って言ってたのが此の本だった。
書評の締め切りがあるので職場の昼休みやドトールで必死こいて読んでたのだが、何というか「仰る事は確かにそうかもしれないし『死にたい』気持ちを切り分け・分析するにはよかろう、しかし其れがしんどいねん!」「其れがでけへんから死にたなるんや!」しかなかった。
「だからー!」って何度ツッコミ入れた事か・・・。
あと論としては「死にたいって言い辛いよね・・・」なのに「悩みを聞いてもらおう」という一節もあって「其れがでけへんから(略)」である。
全部自己流で済ませる事は出来ないし、其れはやっちゃいかんのだけど。
沢山書いてはるけど、詰めが甘いというか何というか「ンモーッ!」だった。
多分、大学時代の恩師だったら容赦なく指摘しまくるんじゃないだろうか。
大学生の「枚数書いて出したらそれでええんや!」レベルの卒業論文でも容赦無かったから。
まぁ何だ、読んでいて「『死にたい』と思う程度にしんどい、って解って欲しかったんだ」と気づけたのは良かったのかな。
人様の「死にたい」に引き摺られるメカニズムとか。
どうでもいいニュース:
しかしメンタル病んでる人が他人を救いたがるのは何故なんだろうね。
心理学やりたがるとか・・・でも心理学って人の心が解る学問ではない筈である。今は違うのか?
他の病んでる人を救おうとする事で自分が救われるヒントが見つかるかもしれない、という共助になるからか。