社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

現代奇譚集 エニグマをひらいて

何でもかんでも呪物って言やあいいってもんでもないし、関係あるかどうか解らない現象結び付けたりそう呼んだりする事で却ってそうなっちゃう可能性も無きにしもあらず。
結局人間次第なんだよ、知らんけど。

「現代奇譚集 エニグマをひらいて」(鈴木捧/Kindle)読んだ。

エニグマってあれやろ聖痕・・・其れはスティグマ
謎を開いていくと不思議な話がいっぱいあるのだった。
怪談集だが、フィクション短編集ぽくもある。
境目がぼんやりしてるのが、此の本の場合は凄く良いなぁ、と。
其其の話にタイトルは付けられていない(あとがきで知る事は出来る)、其れがまた不思議な感じを誘う。
「此の話の此処な!」という説明がちょっとしづらい・・・しなくていいやん。
「5-7」で音楽に喩え乍ら怪談論のようなものが語られているのだが

我々が怪談を聴き、また読むとき、そこには限りなく本物に近い幽霊が「現れている」と言えるのではないか。(p.228)

読んでたらめっちゃ”居て”はったわ。。。
読み終わった後、ふと”何処か違うところ”に迷い込んでしまいそうだ。
戻って来られたら「こんな事があったんです」って話すなり書くなりすればいい、でも戻って来られなかったらどうしよう。
もしかしたら怪異で一番怖いのは「何処か違うところに行って帰って来られない」事なのかもしれない。

エニグマをひらいたついでに、読んでいてふと考えた事を書く。
異世界(?)の食べ物は口にしちゃって大丈夫なんだろうか。
此の本にもあったし、他の実話怪談本でもちょくちょくあるやん、ひょっこり現れた店で飲食したけどすっげー不味いとか味がしないとか。
或いはめっちゃ美味しいとか。
で、其のお店確かめに行こうとしたら、そんな形跡がなかった。
・・・という場合に口にする事で異世界(?)と繋がりを持ってしまうんだとしたら、とそういう話を読む度に気になっている。
神様や神様的な存在から出されたモノなら力を頂けるのかもしれない、しかしあんまりよろしくない系だったら。
食い気が強い人間なもんで、そういう事態にどうしたもんだろうか本能で拒めるだろうか、と時々思うのである。

あと、何気なくTVつけたら謎の番組やってた、という話について。
何等かの理由・意図があって、其の人は其の番組を観てしまう、予言を観てるのかもしれないし其の人の持つナニカが番組という形になって現れるのだとしたら。
電波だと乗っかりやすいし、映像だと人間に伝わりやすい。
もしかしたらTVが登場する前にもそういう現象はあったのかもなぁ、と考えた。
謎の手紙が届いたのだろうか、というか昔昔だったら自然現象として人間に伝えられ、理解してたんだろうか。