社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ぼくは本屋のおやじさん

「ぼくは本屋のおやじさん」(早川義夫ちくま文庫)読んだ。

「ほんの入り口」に行った時に買った本。
「たましいの場所」は過去に読んでいた。
↓この時
sociologicls-acv.hatenadiary.jp
歌手・ミュージシャンを辞めて”本屋のおやじさん”になった早川さんの日々、そして歌手に戻る話。
早川さんのお店なので「早川書店」、出版社の「早川書房」と間違えられて他の本屋から注文が入る話もある。
(しかも河出書房の本を早川書房と間違えて早川書店に注文、っていう・・・ややこしい)

厭な本を読んでしまった、と思った。
予約した本が何故発売日に手に入らないか、ちらほら見聞きしていたが知りたくなかった話がわらわら出てくる。
よく考えたら1982年に出た本だから今は改善されてる筈・・・とも思ったが、割と最近Twitterで見聞きした話でもあるのだった。
40年経っても変わんないの!
要は売れない、取次etc.と懇意になってないと欲しい本が回ってこない、という。
関係ないけど、一番近所の本屋ってそこそこのキャパあるのに文庫の新刊が発売日に並ばなくて、仕方が無いんで発売日の翌日に他所で買い、其の本を読み終わる頃に店に並んでいるのを見る。
入るだけマシっつう話でもあるが。
激推しらしき本は並んでたから、店員さんの手が回ってないんだろうか?と考えていたが。
もしかして、其の店であんまり文庫が売れてないから・・・?
此の制度、どうにかならないかな、地味に実店舗で売れない原因になってると思う。
欲しいモノが欲しい時に手に取れないの、正直キツい。
予約すりゃええんやろ、でも欲しい本を買うかどうかは予約時には確定しない。
抑も地元の小さい本屋には予約してもなかなか入って来ないんでしょう。早く読みたいのに。
上の「割と最近Twitterで見聞きした話」がそういう話、街の本屋さん的なお店の方が「入荷数が読めない」って呟いてはった。

一貫して愚痴っぽくもあって、読むのがしんどかった。

閑話休題
今は新刊・中古本取り交ぜた、お店の方の個性が存分に発揮されたお店も少なくないが、すげえわ。
ネットで出版社等に直接オーダー掛けられるんだろうけど、お店に欲しい本が手に入る奇跡を起こし続けてるって凄い、と此の本を読んだ後なら思う。
今だったら、早川さんが夢に描いたような本屋が実現出来たんだろうか。
「元歌手の店主セレクトの本が~」みたいな紹介のされ方して、そういうの好きな人が遠方からもやってくる、みたいな。
やっぱり難しいのか。
「思想の本はどこですか?」と聞かれた書店の主人が「うちに置いてある本は、全部、思想の本だよ」と答えたエピソードが紹介されているが、お店として「こういう思想ですよ」と提示するのが難しいシステムだよなぁ。
色んな思想の本を並べておくのも、取次から送られた本は取り敢えず並べとくからお客さんが判断してね、も本屋の思想なのかもしれない。

かといって、店の方から「入りましたよ」って声を掛けられても尻込みしちゃいそうである。
其処迄お店と仲良くなった訳でもないし、仮に裏で「ハヤカワの人」みたいに呼ばれてたとしても、其の事を客の側からは知りたくない。
一方で「お客さんが本棚を作る」という話もされている。
お客さんが欲しがりそうな本を置く、となると其の店のお客さんの趣味が良ければいい本が揃う。
じゃあ近所の本屋で「鵼の碑」を買う事で何か貢献できれば、と思ったら(以下略)

大きな、村上春樹の新刊でタワー作れるような本屋にも悩みはあるのかも知れない、でも辛いなぁ。
hontoやAmazonも雑誌は発売日から遅れる、更に尼は出遅れるとマケプレの妙に高いやつしかない。
ワシらがけったいな積み方してる本屋を話題にしなきゃいいのか。
妙に凝った積み方してたら、却って取りづらいんじゃないか?って思うけどな。

ほんと、どうにかなんないんだろうか。

此の本にも名言が沢山ある。

 本なんていうのは、読まなくてすむのなら、読まないにこしたことはない。読まずにいられないから読むのであって、なによりもそばに置いておきたいから買うのであって、読んでいるから、えらいわけでも、知っているから、えらいわけでもないのだ。(p.79)

 あげるということは、捨てることなのだ。もらうということは、拾うことなのだと思う。(p.140)