社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

自分の中に毒を持て

此処んとこ数週間で「マスク外せ」ってマスコミが煽るようになったのは何なんだろう。
「ああ此れで楽になるわー☆」どころじゃなくて、異様な感じがする。
「今迄ずっとマスクしてたから外すの恥ずかしい」って言う中学生の話へのコメントで「将来就職活動で履歴書とか・・・(略)今から外すのに慣れとかんと」だもの。
知るかよ、したかったらしてもええって話なんちゃうん、自己判断になったんちゃうん。
卒業式というハレの場だからこそ着けときたい子もおるんちゃうん。
「カワイソーカワイソー」という御題目で大人の「こうするべき」を押し付けるのは違うと思うし。
あほらしいので暫く「よんチャンTV」はミルクボーイの漫才、ロザンの道案内、のれん探偵以外は観ない事にする。

またまくらが長くなった、本題は此の後である。

「自分の中に毒を持て」(岡本太郎/青春文庫)読んだ。

9月に岡本太郎展観に行った時に買ってた。
sociologicls.hatenadiary.jp
読んでて「あの時に観た!」と思った。
絵で観た、立体造形で観た、観たモノが書かれている。
或いは「TAROMAN」。
TAROMANがそう行動していた、主題歌で歌われていたモノが書かれている。
・・・其れは当たり前やん、岡本太郎の思考・思想からTAROMAN生まれてるんだから。
見事なリバースエンジニアリングですよ。

そして、今を生きよ、挑め、行動せよ、と繰り返されている。
人間は未熟、未熟な人間のほうがはるかにふくれあがる可能性を持っている。
そう考えると人生わくわくするなぁ。
とはいえ挑み、行動する自分に責任を持つ。
激しく挑み続けても世の中は変わらない、だが自分自身は変わる。
闘い続ける事が生きがい・・・とも。

・・・というのも、観る人が感じる事が其其違うように、此の本を読んだ人も違って感じるんだろうな。
其の差異が面白そうだ。

岡本太郎といえば「人生は爆発だ」だけど、ドカーン!と爆発するんじゃない、というのは初めて知った。
岡本太郎の考える爆発は「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと」なのだそうだ。
音もしないし、飛び散らない。
恋愛に於いても当たって砕けろ!ぶつかり合え!じゃないんだなぁ、と。
いきなりラブレターじゃなく「友情のこもった手紙を出すといい」のだそうだ。
なるほど。

「滅びたっていいじゃないか。当たり前のこと。」と仰るけど、やっぱり怖い。
やり残しが沢山あって踏み出しきれてない・・・まだふくらみきってない、輝ききれてない、なので”爆発”出来ないからかも。
いつか「自分の人生は充実してる」と思えるようになれるだろうか。
しょうもない愚痴はぽろぽろ出てくるけど、未だに何かを”生み出す”に至らない。
腹ン中にぐるぐるしてる。したまま半世紀近く生きてしまったな。

もっと過激に読んでてぐさぐさ刺さってくるかと思っていたが、凄くマイルドでするすると読める本だった。
「人生、即、絶望的な闘いなのだ。」と此処だけ抜き出すと過激なんだけど、文章の中だと刺さるというより染み込んでいく感じがするのだ。