此処んとこなんとなくしんどくてぼんやりしてて。
特に何があったというわけでもないが、精神殺られてんのかもな。。。
綺麗なモノを摂取して、なんだが相変わらずとっ散らかっている。
「歓喜の歌 博物館惑星Ⅲ」(菅浩江/ハヤカワ文庫JA)読んだ。
- 作者:菅 浩江
- 発売日: 2020/08/20
- メディア: 単行本
sociologicls.hatenadiary.jp
連作短編だけど長編ぽい。ミステリ感増し増し。
今回は「デメテル」も割と出てくる。
工芸品に使われるタマムシの話、そして芸術品の真贋、写真作品の笑みの曇り、プラントハンターと製薬会社会長・・・等。
美とは、芸術とは・・・を通り越して、命とは、生とは。
今回、アフロディーテでの研究の為、或いは人間に遺伝子操作されて生まれた生物達を隔離した、”キプロス島”の存在が明らかになる。
此れを公開する事で、アフロディーテの素晴らしさを伝えたい・・・という話ではあるけれど、或る意味”残酷な美”なのかもしれない。
人間のエゴ。其れもまた芸術なんだろうか。ううむ。
とはいえ生み出されてしまった命は大切に、其れは其れで誰かの心を動かす存在なのであれば収蔵・公開されるモノなんだろう。
そして”触れる”とは。心とは。
「物理的なインターフェイスを持たないうちは、いくら直接接続されていても情動をプールするデータベースにしかすぎないってことだ」(p.147)とあるけど、インターフェイスが無くても、AIにはAIの触れ方、感じ方があるんやろね。
AI同士での伝え方が。
C2、良かったなぁ。流石美和子さん。
こちらも人間のエゴなのかもしれない、だけど生きる場所があって良かった。
木下が騙しの手口について健達に語っていた理由も、最後になれば解る。
本物に限りなく近い贋物が登場した場合、”どっちも本物”・・・てやっぱり違うような。
そして贋物って可哀想よなぁ。
本物は何かを表現したくて作られる、だが贋物は表現したいかではなく”他者に限りなく似せる為”に作られる。
己自体が評価されるんじゃなく、”どこまで本物に似ているか”という観点でしか美しさを感じて貰えない。
それにしてもラストの美しさよ。
文章、物語の力って、凄い。
身も蓋も無い言い方をすれば文字の羅列、なのに其処から読む人の心に起こるのは映像、音楽、ショー。
読んでいて感動がわーっと目から脳から、全身へ。
ユーミンの「シャングリラⅡ」観た時と同じ感覚だった。
色んな姿をしているモノを総合的に集めた芸術を一つの形で描けるの、文章ならではなのかも。
でももっと体感したい。
物理的インターフェイスも想像する脳もあるのに、もっと触れたい!
何はともあれ、50周年のお祝いが無事出来て、よかった。
しかし此れで終わっちゃうのだとしたら、寂しい。
(其れが寂しくて「不見の月」読んですぐ「歓喜の歌」を読めなかった)
またアフロディーテの違う人の物語が書かれないだろうか。ちょっぴり健達が登場したりして。
相変わらずマシューがやらかしてんだろうな。