今年もテレワーク出来ない代わりに有休取ってGW拡張するもんね!
・・・の筈が地味ーにちびちびと仕事あるもんで休めず。
其れは仕方無いとしても、依頼時に「いいよ」って言うてはったのに、何でワテが帰る時に「早くならへん?」て・・・もっと早く言ってくださいよ。
「不見の月 博物館惑星Ⅱ」(菅浩江/ハヤカワ文庫JA)読んだ。
「永遠の森」に続き、地球の衛星軌道上にある巨大博物館「アフロディーテ」の物語。今回は自警団員・健と警察機構のAIダイク(ディケだが健はこう呼んでいる)、アポロンに配属された新人の尚美を中心に彼らの同期や先輩、アーティストやらなんやらの物語である。
「永遠の森」の主人公の田代は健・尚美の上司として活躍、ネネも健在なのが嬉しい。
ダイクは健から人間の情動、物の見方や判断等を学ぶけれど、健はダイクに気持ち・考えを投げて返って来たモノを学んでいる。
そういう事が出来る人だから、ダイクと組む事になったんかな。
物語はⅡで一応落ち着く・・・のではなく、「ああよかった」と「くぅぅ続き気になるぅぅぅ」が絶妙なバランス取れたまま、Ⅲへ。
文庫版で同時に出たの解る、折角だから一気に読みたい。
美とは。
観るとは。
楽しむとは。
表現するとは。
色んな示唆がある。
自由って、言うほど自由じゃないんだろうね。
表現は自由、だけど何をやってもよい、許される訳じゃない。
観る人、聴く人が居る限りは。
「これは美しいか!」と問う場面があるけれど、其処で「ノー」となる、或いは「ノー」が多数となる場合は、自由を振りかざしちゃいかんのだろう。
少なくともアフロディーテに展示・収蔵されるべきではないのかと。
批評する側もそうなのかもしれない、見えない(見るのが辛い、見たくない)んだとしても、それが劇評として世に出る場合は己の気持ちばっかりじゃ美しくない、そして劇評もまた作品なのだとしたら。
とっちらかってるけど、そんなことを考えながら読んでいた。
「不見の月」は他の不見の月にも塗り込めてあるのだろうか、#十八を隠す為のカムフラージュなのか。
そちらにも思い出が込められていたらいいなぁ。
(とはいえ絵として楽しめなくなるのだとしたら・・・ううむ)
それにしても“観たく”なる、アフロディーテに居る美術品、植物、音楽、お芝居等等などなど。
どうでもいいニュース:
AIを直接接続するのはしんどそうやね。