社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

最後の伝令

めっっっっっちゃ腹立つ事象があるとして、其の発生した時点じゃなく随分経ってからネチネチ”思い出し怒り”して「あゝそんなに自分は腹が立っていたのか」となる事が多くて自己嫌悪。
やめたい。

「最後の伝令」(筒井康隆新潮文庫)読んだ。

「『がん』はなぜできるのか」を読んでいたら、此れを読みたくなった。
筒井康隆で一番好きなやつ・・・と言いつつ、何故か長編だと思っていた。
忘れてるとこや記憶違いがあるから、なんぼ読んでもいいですもんね。
今迄は「うっわーむちゃくちゃじゃん」「ひっでえ」「おじいちゃん良い人生」みたいなゆっるいノリで読んでいたが。
今回読んでいて、既に死が漂っている事に気づく。
なんか切ないというか心がぎゅっとなるというか。
「最後の伝令」、40歳代という若さで、どんだけ体に爆弾抱えて”戦後”をばりばり生きてたんだろ、『存在』。

今回読み返して特に心に残った話等。
・北極王
北極王に招待されて北極に行った子の夏休みの作文。
大冒険するんじゃない(道中が既に冒険みたいなもんだが)、ただ北極王と奥さんと過ごすのが一番の思い出で、何となく”分かる”のが切ない。
・禽獣
エッセイのようでエッセイではない、その”あわい”というやつが良い。なんかいいな!
全然関係ないけど、以前友人が息子さんに「牛は”雄牛””牝牛”って言うけど、うさぎは”雄うさぎ””牝うさぎ”って言わないのどうして?」って質問された話を呟いていて必死こいて考えた事があった。
「禽獣」に”雄ウサギ””雌ウサギ”って出てくるの見て思い出した。言うやん。
・瀕死の舞台
おじいちゃん俳優が急遽寝たきり老人役で登場する、良い人生の締め方だけど立ち会う人びつくりだよな。
でももう家族みたいなもんか。
お粥を食べさせたりする姉妹役との繋がり、交流が描かれてるけど、どの出演者・スタッフともそういう家族のような、いや家族以上の繋がりがあったんだろうな。

そういえば「最後の伝令」「瀕死の舞台」とあと1作位(「あのふたり様子が変」かな?)、ラジオドラマになってなかったか。