社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

今日はフジファブリック「TEENAGER」聴きながら買い物へ。
「ペダル」のテンポで歩くのはやっぱりちょっと速い、志村ちょいと早足なんかな、自分が遅いだけなんかな。
相変わらずクリスマスという浮かれた気分にはなれないでいる。
家人居るから鶏肉とシュトレン買って食うけども。
色んな気持ちの処し様があるんだろうけど、フジファブリックの音楽を聴いて「やっぱりええ歌やな」って思うのが一番良いように思われる。
「東京、音楽、ロックンロール」や過去インタビュー読んでたら、兎に角音楽、良い音楽を作って演る為に生きてたような、そういう人だから。
去年こういう事書いてたんだけど
sociologicls.hatenadiary.jp
今年もっと酷い・・・某インターネッツで見たんだけどさ。
「新曲一緒に聴こう」って墓石にイヤホン当てて聴く奴が居たとか。
嘘じゃろ?釣りだと言ってくれ。
志村が望んでるなら既に聴いてると思うぞ、そんな一介のファンに無理矢理聴かされる迄も無く。
望まないなら、本人が望まない音楽強いてどうすんの。
そういう想像力も無いのか。えらく低く見られてるな
結局自己満足、自己満足なら仲間内で勝手にやりゃあよいが、御家族やメンバー・関係者、富士吉田の方々に迷惑掛けないようにして欲しい、でもそんな事考えないんだろうな。
自分が良ければ、”知った時には既に亡くなっていて会えなかった悲しみ”があれば何をやっても許されると?
2009年の年末、悲しいとかそんなもんじゃなかった。
もう二度と御免だよあんなやりきれない気持ちになるのは。
ほんで2009年からずっとミュージシャンが亡くなる度に名前持ち出される、しかも良い内容とは限らない、ボロカス言われる事だってある。
もう厭だ。
厭だ厭だ。
音楽聴いて「こういう所に気が付いた、すげえ」っていう話をしたいのに。
何でこんな話ばっかり書いてるんだろう毎年毎年、其の事がもっと厭だ。