社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

monoshigoto

志村が“いるけどいない人”になって随分経つ。
つい数年前のような気もするし、随分前のような気もする。
干支1周以上して漸く”喪の仕事”が完了したのかもしれない。しなかったのかもしれない。
此れからもずっとフジファブリックを聴く、12月24日も其れ以外の日も。
バンドでも演る、演りたい・・・が諸事情により出来ないままでいる。
若者のすべて」「桜の季節」が音楽の授業で聴かれる、歌われる、演奏されるのがもっと早かったらよかったのに。
とか言っても仕方ないか。
歌は”いる”んだな、バンドと共に。
で。
「だったらもういい」って去る人が居るのも辛かったが、異様に神格化されるのも正直辛いな。
今日は「神様になれば」とか言い出す人も見た・・・。
ずっとミュージシャンでいたい人だと思うのだが、志村。
あと、命日と誕生日をイベント化する人な。
「12/24だから富士吉田行く/行かない」みたいな。
御家族やメンバー・スタッフの方々の事を考えたら、逆に避ける日じゃないのかねぇ。
お墓参りするのって、「ファンです!」って御実家押しかけるようなもんだと思うんだけどな・・・。
インターネッツで似たような事言うてはる人あって、自分だけじゃなかったんだモヤモヤしてたの、と思った。
ずっと聴かれ続ける、思い出され続ける方が良いと思うんだが。