AIを毛嫌いするのもどうかと思うけれど、極極一部のAI推進派的な人の異様に讃えたり使わない人を見下したりしている言動見てるとむべなるかな。
人間もAIもお互いに得意な事やりましょう、で良い話だと思うのだが。
「七十四秒の旋律と孤独」(久永実木彦/創元SF文庫)読んだ。
表紙は単行本版の方が好きかも。「七十四秒の旋律と孤独」は読んでいて聴こえる旋律、見える色彩がとても美しい。「マ・フ クロニクル」は壮大な時間の中の一瞬とも言える物語、SFって人間を描くものなんだなと再確認した。
以下、ネタバレあるかも。
表題作は“空間めくり”と呼ばれるワープを行う際、高次空間(サンクタム)に発生する七十四秒の空白時間、其処を襲撃されないよう、船員を守る為に宇宙船に乗る朱鷺型人工知性(マ・フ)・紅葉の物語。
マ・フは空間めくりの間だけ通電して認識出来るようになる、個としての認識を維持する為にネットワークには接続せず、初期で組み込まれたデータと自らの記憶しか参照出来ない。
つらいな、何も起こらなかっただけなのに「空焚きのポット」なんて呼ばれるのは。
空間めくりの前後しか認識しない・・・稼働しないマ・フが「思うように生きる」とは。
マ・フの存在する理由・証明にも繋がって来る。
タイトルの「旋律」とは?
・・・空間めくり時に起こる全て(もしかしたら認識がある時全て)の層の色彩、反響する音が「旋律」。
紅葉と敵の戦闘はさぞかし美しい交響曲に違いない。
久永さんは音と色の感覚が“近い”方なんだろうか。
良くも悪くも「えっ」となるラスト。
ごりごりのSFで、読んでいる時に聴こえてくる旋律も色彩も美しい。
そんな小説が読みたかった、其れが読めてよかった。
「マ・フ クロニクル」は超空洞(ヴォイド)で目覚め、母船から惑星Hにやってきたマ・フ達の物語。
彼らは母船にあった聖典(ドキュメント)に従い、惑星の環境変化を観察し、情報を記録する。
「特別は必要ありません」という日々を一万年繰り返している。
だけど同じ日々は続かない(だから物語になってるというか)、「ぼくたちは本当におなじだろうか」と考えるマ・フが居たり、観察対象に干渉したり、ヒトが見つかったりする中で変化が起こる。
みんなおなじ、”特別”が無い日々に、其其違う役割、”特別”が生まれる。
ヒトも増えてくるんだけど、一体何なんだろうな。
マ・フと仲良くやっていきましょう、というヒトだけではない。
好意的なヒトだって少しでも良い暮らしをしたい、戦争を忘れるようにマ・フに言った所で「電気寄越せ」ってそんな事したら争いの元だろうに。
何でマ・フが真っ当に暮らしていけなくならなきゃいけないんだ。
ヒトは愚か。
マ・フの一人ナサリエルは気づく、ヒトが時代遅れの異物(アーティファクト)、可哀想な存在だという事に。
そして”旅の終わり”も描かれる。
ナサニエルは”神”となった。
ヒトは愚か、だけど新しく物語を生み、語り継ぎ、生きてゆく事が出来る。
半永久的に生きられる筈の人工知性も螺旋器官も最期を迎える。
良かったな、ナサニエルが最後に出会ったヒトが愚かなだけじゃないヒトで。
もしかして、空間めくりをしながら此処に収録されている2つの物語をぐるぐる繰り返してるのかも?
映画館でじっくり1本映画を観たかのような読後感である。
正直、「七十四秒の~」があまりにも綺麗な音で美しくて、其処に浸っていたかった、「マ・フ クロニクル」は有っても無くてもよかった・・・とちょっと思ったのは否定しない。
でも最後迄読み切って良かった。
世界は美しい事だけじゃないもの、愚かだって怒りだってある、其れでも最後はやっぱり美しい、こんな風に美しくあって欲しい。
どうでもいいニュース:
久しぶりに「本が好き!」にレビュー書いた。→こちら
どうしても書きたかったん。
ほんとはキャッチコピーを「ヒトは愚か。」にしたかった。