社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

生きるヒント3-傷ついた心を癒すための12章-

最近は「0か1か、1と言わないなら0だ!」が多くなってきた気がする。
でも場合によっては0.9も0.23597もあるから悩ましいのであって、其の是非とは別に存在を認める事も多様性なんではないだろうか。

「生きるヒント3-傷ついた心を癒すための12章-」(五木寛之/角川文庫)読んだ。

此の本が出たのが1995年11月、阪神淡路大震災サリン事件もあった年。
其の事が文章に滲み出ている。
サリン事件の方が影響大きそう・・・東京だもんな。
「心に感じたままを言う」、間違った事を口にしたなら他人が訂正してくれる、口に出して言わないと誤った観念・知識を持ち続けたまま・・・。
そういう余裕がある時代だったんだな、と今は読んでいて思う。
今うっかりSNSで呟いて御覧、優しく丁寧に訂正してくれるなら有難いが、すっげー怖い人が来るかもしれない。
許せない事があった時に忘れる工夫を、と言っても難しいよ。
田辺聖子さんが「ひらがなで考えたらええんよ」と仰っていたそうだ、其れだったら出来そうな気がする。

3まで読み続けていくと、其の時々の五木さんが存在しているのだな、と思った。
必ずしも一定しない、でも貫いているモノは一つ。
こんな風にあんな風に考えてみた、だけどはっきり「こうだ」という結論が出ない事もある。
其れが「生きるヒント」シリーズらしい。
そうしないのが良いのだ、此処では。

最後の「付・『対治』と『同治』について」読んでると「善と悪とを二つに分け、どちらかを否定するところから出発する近代思想の大きな問題点をあらためて考えさせられた」とあったが、抑も此の場合の「悪」って何?って思った。
善と悪を分けるんじゃない、只否定したいモノを「悪」って呼んでるだけで、否定しなくなったらもう「悪」とは呼べない気がする。

どうでもいいニュース:
読み終わった時に何故か「推し、というのは執着なのかも知れない」と考えた。
此れについてはまたどっかで考えるかも。