社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

エトセトラ vol.8

「推し」「推し活」について揺らいだ、モヤった切欠は幾つかある。
例えば、「推し」に相当するバンドが同じだが、音楽以外に(も)重きを置いてそうな人と遣り取りをする機会があったとか。
詳しくは差し控える。
そういう人達から見たら自分みたいなのは「機材・演奏ばっかり観て気持ち悪い、偉そう」なんでしょうな。
特にSNS上で話をする訳でもなく、考え方・捉え方が合わないのでフォロー外したら、色々。
多分裏で色々言われてるんだろう。
あと、他所を見るとしょっちゅうファンの有り様で揉めてるように見えるアーティストがある。
別件で仲良くなった方が気を揉んでおられ、自分も好きなアーティストなんで気になってぽつぽつと話を見聞きする事になる。
何ならファンの”熱烈さ”で其の人の名前が挙がってるの見た事も。
色んなファンが居るんだなぁ、とは思うが「好きだから批判しません」「溺愛」というのが個人的には謎だった。
あと活動内容見てると「其処迄キャアキャアするもんかねぇ」と・・・人柄に好感持ちつつも何より先ず音楽が好きだという人が肩身狭そうなのは、どうなんだろう。
人前に出る人は「アイドル」になり得るんだろうな、そういう特性があるのだ。
と考える一方で、アイドルではない人を「アイドル」的に扱うのは何故だろう。

そんな気持ちでアイドルや推し活についての特集を読む今日此の頃。

「エトセトラ vol.8 FALL/WINTER 2022」(エトセトラブックス)読んだ。

エトセトラ VOL.8

エトセトラ VOL.8

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研究者・鈴木みのりと当事者・和田彩花の特集編集による、「アイドル、労働、リップ」特集。
和田彩花の「何があってもステージに立つ」という根性論を「間違っている」と言ったのはどの立場の人だろうか。
外野から見てると、彼女の根性論、根性論自体というか、根性・パワーで乗り切ろうとする感じがハロプロらしく見えたので。
モー娘。の最初の最初から、若い女の子達に無茶な課題を科しては頑張って乗り越えていく姿を客に晒してきてたじゃん。
其処を否定して、プロデューサーやスタッフじゃなくアイドル当人を責めるのって、おかしくないか?

以前から「推し」という言葉が拡張していってる気がしていたが、今号、特に「わたしの”アイドル”」というアンケート結果を読んでいると「推し」だけじゃなく「アイドル」という言葉も拡張していってるように見える。
「むっちゃ好き」とどう違うのか。
個人的に「推し」「アイドル」には軽い崇拝と敬意と親しみがあるような気がする。
言葉の定義は置いといても、「推し」「アイドル」に対する想いは人其其違うし、言葉としても色んな人・界隈を経て拡張していってるからか、エッセイ・論考も拡張しながら語られてる感じがする。
なので此の特集に限らないけれど、「推し」を扱う特集は「なんかわかる」と「賛否以前にその話は別なんでは」が同時にあって、なんだか落ち着かない。
逆に言えば人其其の「アイドル」論の違いが興味深い。
”推し”に負荷が掛かって欲しくない、苦しんで欲しくない。其れは或る程度共通している。
そして”推し”に色んなモノ映して一人一人が(勝手に)考えてる。

アンケートは「元を含めたアイドル当人」「アイドルに関わるスタッフ側の人」「ファン」毎に質問・集計されている。
アイドル当人に関しては、回答者が誰かアタリつく人ありそう。
もうちょっと回答が欲しかったそうだが、難しそうだな。
リップの色を訊いているのは、其其の立場からの”見え方”を表しているからなのか。
自分に似合う色なのか、アイドルとしてorグループとして似合う色なのか、ファンから好まれる色なのか。
「アイドルとファンはどんな関係でいるべきだと思いますか?」への或るファンの方の回答に「依存せず、互いにそれぞれの人生を応援しあえる関係」とあって、それな!と思った。
でも「好き」故に過剰に求めてしまう時もあるのか、と。
「親友」「戦友」という方もあるけど、其処迄近くないような気がする。
SNSで”プライベート”を見せるし、もうアイドルに夢を求める時代ではないのだろうかと思う時もあるけど、まだまだ夢を売る商売なのかと。
消耗させないようスタッフが気遣っていても、難しいのかな。

締めの座談会で「結婚だったら祝福してくれるんですよね」と仰る方があるけど、果たしてどうなのか。
山内が結婚した時に「何で此の界隈は冷静なんだ」って暴れてる人居たの思い出した。

「みんな違ってどうでもいい」精神で行きたいもんだが、難しい。