用事で19日お休みを頂く、18日も休めたら5連休だぜフフフ・・・
という訳にはいかず。
ずーっと手が空いていたのであわよくば、と思っていたが急に立て込んで来たのだった。
「カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色」(酒井敏/集英社新書)読んだ。
SDGsのあの17色混ぜてうんこ色になるかな・・・ぐるぐる回して循環させたら良いとは思う。其れはさておき、此の本はSDGsをカオス理論から観て考える、という趣向である。
そんなSDGsと「ぼちぼち」付き合うには。
欧米がやってるから日本を同じ事をやれ!
・・・が良いとも限らない。
脱プラしようぜ!だけど日本は焼却して熱回収する(焼却時の熱で発電する等)率が高く、海外より海洋流出率は低いそうである。
あんまり燃やして二酸化炭素排出したくないのかな、EV車が主流になりつつあるらしいし。
(なんか色々事情あるらしいけど。)
でもEV化の為に原発使うのはどうなんだろう・・・と自分は思ってしまう。
二酸化炭素を出さない、というのがサステナブルなのかというと、そうでもなさそうである。
植物に吸収される等すれば循環する。
SDGsはローカルな事情に合わせるべし、って確かに。
EV車は欧州だと有効かもしれないが、ドカ雪降る日本では厳しいんじゃないかねぇ・・・とは思っていた。
(雪の関越道立ち往生見守ってたの思い出す・・・あの環境にEV車にしろ!派放り込んだらどうだったんだろうな)
環境への適応についても、文化の違いで感覚も違ってくるんだそうだ。
変化する自然に合わせて暮らすか、支配者としてコントロールするか。
要は目的の為に手段を揃えなくて良いのかも、という話である。
あらゆる現象には必ず原因がある、でも原因と結果の繋がりは必ずしも明確には伝わらない。
あるネットワーク内で起きた事が原因となって結果が生じ、其れが原因となって次の結果が・・・というフィードバックループもある。
ベクトルの向きを揃えるより、分散させた方が得策なんだそうだよ。
SDGsは「不平等な格差をやわらげるセーフティネットの為のリミッター」としてぼちぼち付き合おう、自分も含めたみんなで楽しく幸せになろうね。
そう考えたらSDGsもええやんって思えた。
「SDGsを分別する分別」という話もあったんだけど、確かに自分の職場も17の目標から幾つか選んで「目指そうね」ってなってる。
バッジも支給された。
付けてないけど・・・色々引っ掛けそうで付けられない。
大事な事はバッジを付ける事ではなく、どう行動するか、じゃないか。
日本の現状だと「ジェンダー平等」「働きがい」といった個人の暮らしに関わる方に力を入れるべき、とある。
確かに。
最も重要なステークホルダーは従業員・・・確かに。
自己都合で行動した結果生まれるような、特別な秩序の無い、スケールフリーネットワークの観点でも個々の従業員を大事にするのは会社にとっても大事なのだそうだ。
幸福感、充実感、やりがい・・・。
世界の持続可能性に関心持たず、自分のやりたい事をやり続ける人がいてこそ、世界はサステナブルなものになる。
人は人、自分は自分。
SDGsに関して「よくよく見たら其其の項目が同時には成立せえへんやん」とか色々納得いかなかったとこが、此の本読んでちょっとすっきりした。
誰かが「こうあるべき!」って示してくれたら一見楽だし、其れが最先端ぽくて実行して「やり遂げた!」って満たされたら気持ちいいかもしれない。
でも結局疲れてきちゃう。
若い人だと純粋さがある故に暴走しかねないし・・・其れをカルト団体が利用するとか。
やーねー。
”ぼちぼち”、でええやんね。
其れにしても、“ぼちぼち”が出来ない、画一化しちゃう、“〜すべき”になっちゃうのは何でやろな。
其処んとこも、折り合い付けていくか支配したがるかの文化の違いなんだろうか。