社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

帰れない村

バの字ツアーに託けて東北に行きたいのだが、まだ厳しいんだろうなぁ、新コロの所為で。

「帰れない村 福島県浪江町DASH村』の10年」(三浦英之/集英社文庫)読んだ。

浪江村の話は知ってるようで全然知らなかった。
水素爆発の音が聞こえたとか、其の季節には吹かない向きの風が吹いたとか。
読んでいて、写真を見ていて、つらい。
「つらい」って安易に言っちゃいけないんだろうな、と思えるくらいつらい。
ただ住めなくなっただけではない、もし避難する時に解っていたら、持ち出す物が違っていたのではないか。
でも状況が状況だけに早く避難しなければいけなかったんだろう。

必要な情報が伝えられなかった事については、何故なのか、其れは後からでも検討されなかったのか。
科学者は解っていても「住めない」だけを伝えられないよね。
「もう戻れないかもしれない」と其の時点で言われていたらパニックになっていたのかもしれない、でも知らされない、随分時間が経ってから知らされるのはあかんよなぁ。
せめて浪江町の件を踏まえて情報伝達についての改善が行われていて欲しい。
其れは「忘れない」事にも繋がるんじゃないだろうか。

忘れられたくはない。
赤宇木集落の方が「100年後の子孫へ」と書き残してはる。
著者もこうやって写真と言葉を残してはる。
でなきゃあまりに覚えておく事、忘れちゃいけない事が多過ぎる。

申し訳ないけど、当時の首相に関しては「どのツラ下げてこのインタビュー受けてんの」って思った。

どうでもいいニュース:
ところで、著者にだけ問いたい。
阪神淡路大震災を覚えていてくれてますか?
どれくらい覚えていてくれてますか?
避難先から戻れなくて「戻りたい」って、今住んでる街の文句と共に繰り返すおばあさんがいたの、ご存知?
其の後色々あり過ぎたのもあって、其の年の春には忘れられてしまったかのように報道されてたんですが。
冒頭読んでちょっとモヤったもので。
「忘れない」「覚えている」のはすごく大事だけど、そういう感情をがっつり出すのはルポライターとしてどうなんだろうなぁ、と。
人の心を煽るというのは、そういう事でもあるのだ。
解るんですよ、震災から8年後くらいに当時の勤め先に新しく来た常務に神戸在住と伝えた時に「大変だったね」って言われて、覚えてくれてはる人あってんなぁって泣きそうになったから。
あと”伝える”役割の人がセンセーショナルになると、当事者が声上げづらくなりませんか。
其れも気になった。