頑張って早起きして「いろりろ」を観た・・・観ようとした。
岡崎体育が出てるから初回位は・・・なんだが、あのふくふくした感じが子供向け番組に合ってるような。
そのままぼんやり過ごしてカルディで買い物して帰ってきてこってり昼寝した。
休日は8時間位寝る体になってしまった。
※訃報より前に出版予定にあった筈
幸宏さんが亡くなった事が注釈に反映されていて、切ない気持ちになる。
2009年以降の坂本龍一の話も伺いたかった、御本人は語りたくないかもだが。
生い立ちから「NEO GEO」辺り迄は、「SELDOM ILLEGAL」で読んだ話も。
AKIって何方の事だろう?と思っていた謎が解けた。
なんだかんだで人間ブレないもんである。
小学生とはいえ、「ひとりだけ違うというのが辛い」とは意外だった。
幼稚園児の時点で独自な自我を確立してはると思ってた。
良くも悪くもミーハーだったんだろうか。
「カッコは大事なんです」(p.84)とか。
ミーハーというと語弊あるけど、其の時々の流行りを捉えて自分で実行する力にも長けてはったんかなと思った。
若い頃は兎に角めっちゃ不遜、不遜過ぎてわろた。
其の不遜さこそが坂本龍一なのかも。
何より、自由・・・単純に自由でありたいというより、”開放”されていたかった人なのかも。
心が動いた時に、動く方向へ行動しはる、其れが自分には「自由だな」と思える。
政治的なアクションしてはるんも「行きがかり上」「やむを得ずやっている」そうで。
学生運動してた頃みたいな情熱が蘇ってはるんかと思ってたよ。
YMO時代の話で「もしリズム・セクションの2人の中にポップ・ミュージックがあれほどしっかりと染み込んでいなかったなら、YMOの音楽が世界中の聴衆の耳に届くことはなかっただろうと思います」(p.173)という話、へええ~ってなった。
そういうお二人がだいたいリズム隊で、其処へ坂本龍一というクラシックというか現代音楽ごりごりの人がぶつかったから生まれた化学変化でもあったのか、YMOって。
でもYMOの坂本龍一曲って凄くポップで豊かなメロディだよなぁ。
其れは「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」の曲もそうで。
後の「energy flow」もだけど、メロディがめちゃくちゃ語る、というか雄弁に語る内容があまりにも多い。
此の本の最初の方で思いを音楽にする事の限界と音楽にする事で時間・場所の枠を超えて共有されていく力の話をされているけれど、其れを意識してコントロールしてはるんかもしれん。
(無意識だとしたら凄過ぎる)
ポップであるというのは、そういう事でもあるのだろうか。共有させる力が強い。
「ラストエンペラー」の話は音楽制作に関わっていく話も凄い。
同時多発テロの時期の時代の空気の話も。
(当時、矢野さんの手記が日経新聞に載ってて、「自宅から見てはったんや」というのは知っていた)
一方で矢野さんや美雨さんの話をしはるんは照れ臭かったり恥ずかしかったりしたのかな、ちょっと調子が違う。
今の事実婚の奥さん(?)やお子さんは話自体があんまり無い。
高校・大学の同級生から見た坂本龍一はどんな人だったんだろう。
交流のあった同級生の話は出てくるが、そうじゃなくて偶偶同じクラスだったとか同じ時期に同じ学校に通ってたとか。
マイケル・ジャクソンの「BEHIND THE MASK」カバーは、坂本龍一の「BEHIND〜」に忠実やなと思ったら其の逆、マイケルVer.を坂本龍一がやったそうである。
マイケルカバーといえばYMOの「BEHIND~」に歌だけ足したようなデモがツイに流れていたが、あれ本物なんやろか。
本物だとしたら、もっと前に噂話が流れて来てそうな気もする。
ところで、アルバムタイトルでもある「キャズム」とは裂け目、溝、というような意味なのだそうだ。
世界の裂け目を痛感していた時期のアルバムだけど、リリースされた2004年より、今はもっとキャズムが大きく、深くなってしまってるね・・・。
どうでもいい訳ないじゃんなニュース:
単行本の表紙もかっこいい。