社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

大阪文化芸術創出事業 秋の謡会2022(2日目) at 大槻能楽堂

能を観に行った。
久しぶりの山内ソロだー、と思ったら対バン相手が能(人間国宝能楽師もいらっしゃる)と竹原ピストルっていう。
能楽堂近くの公園で四天王寺ワッソやってた。

夕方にMBS見てたらCM流れてたりするやつな、という印象。
大槻能楽堂はビルの中に能楽の舞台がすっぽり収まってる感じ。

中はこんな感じ。

※終演後に「写真撮ってどんどん上げてください」という事で、撮った。
FM802等でお馴染みの大抜さんの前説によると、舞台の下には壺が置かれているのだそうだ。
声も拍手も、凄くよく響く。PA要らんのちゃうか。
能楽師の方的に、こういうポピュラーミュージックとの対バン(?)はどうなんだろう。
長い歴史の中には、其の当時の能楽以外の音楽・お芝居と一緒、という事もあったんかな。
入場時に渡されたアンケートに質問書く欄があって、何を質問しようか考えていて、ふと思った。

演目は「安達原」。
有名なあの話だ、山伏が一晩泊めて貰った家が鬼婆の住む家、何で鬼婆になったかというと乳母がお仕えしている姫の為に妊婦の腹掻っ捌いて取り出した赤子の肝求めて・・・という。
演じられる前に概要が説明されたが、鬼になった下りをサイドストーリー的に説明されていた。
其処が肝なんじゃ?と思ったが、此の演目としてはあまり関係ないか。
山伏が鬼婆に遭遇して祈り伏せる方がメインである。
演者だけじゃなく、地謡囃子方*1も全て、所作が美しい。一切ぶれない。
するすると布の掛かった籠(老婆の住む家を表現する)が運ばれてくるが、コマ付いてるん?ってくらいスムーズに現れる。
其の他、太鼓がセットされる姿、地謡の方の扇子(?)の動かし方の一つ一つがぴたーっと揃う。
アイの能力が寝る時うつらうつらするくらいだ、揺らぐのは。
(能力ってスタンド?と一瞬思ったが、山伏の心の一部みたい、「見てはいけない」と言われてるけど見ちゃうよ、みたいな。)
ぶれない事で人間を超越する、そうする事で「安達原」の登場人物其の物になる。
老婆はどう見ても老婆で演じてる人が男性とは思えない、鬼女はどう見ても鬼女で人間とは思えない。
さっきまでお婆ちゃんだったのに!
山伏と供山伏が数珠を鳴らしながら祈る姿は演技の筈だけど、目の前の鬼女だけじゃなく実際に能楽堂に居る人達に憑いた悪いモノを祓っているんじゃないかね。
能力はくだけっぷり揺らぎっぷりが人間を超越した概念みたいな存在になってるし。
鼓の叩き方が凄い。腕を大きく振ってはるけど、指のスナップもすごい利かせてはると思う。
古文は高校以来で泉鏡花読んで心折れる体たらくだったけど、話の内容は分かった。
ステージセットは籠(萩小屋の作り物、というらしい)位なのだが、とっぷりと日が暮れてしまった山、老婆が住む家の寒寒した空気、老婆の語る人の世の儚さが見えた。
空気は地謡の方達も醸し出している。
想像力を喚起して楽しむお芝居。
昭和~令和の感覚からすると凄く緩やかに物語が進んでいくように感じる、だけど50分あっという間だった。
此れでも能の生まれた時代からするとスピードアップしてるのかもしれない。
よく現代の海外の音楽と比べて「日本人のリズムの取り方ガー」って言う奴おるけど、そりゃあ全然違うでしょうよ。
こういう音楽が、音楽を楽しむ力が遺伝子レベルでずーっと流れ続けてるんだもの。

合間に人間国宝の方のお話を伺う。
シテ、ワキ、各楽器は其れ一筋にやっていくそうだ。
演目によって「今回はシテで」「此の演目は太鼓、次は鼓」とはならない。意外。
一筋に芸を磨いておられるので、リハーサル無しでもぱちっと合う。
パズルとしてしっかり組み合わさるけど、其れだけでは平面的なものになってしまう。
火花のぶつかり合い等のようなものがあって、立体的になっていくのだとか(詳しくは失念)。
謡と舞によるお芝居、”能楽ミュージカル”とも言える。
昔から演じられる演目が多いけれど、新作も生まれている。鬼滅の能とか。
逆に言うと、何百年も前から演じられている演目って、強いな。
鬼滅の能も、そうやって演じ続けられて「平成時代の漫画っつうエンタメから生まれた演目だよ」ってなればいいな。
鬼滅は人間国宝もお読みになったそうだ。鬼の悲しさ、哀れさが描かれてるみたいな話をされていた。

山内総一郎

橋懸かりに現れた瞬間から、「うわあめっちゃ楽しみやなあ」という感じの笑顔である。
空色のカジュアル目なセットアップ、見ようによっては作業服にも見える。
(後でレポの写真見たら”きちんと感”あるんだけど)
1曲目が「Feverman」、まじか!
コードをストロークしているようで所所メロディが聴こえる、見える。
一体どうなってるんだろう。
左手が時折きゅっと動くのだけど右手でメロディ爪弾いてるのが見えない。
キックもある、心臓の鼓動のよう。
そして「手紙」。
大阪で、ソロで聴く「手紙」は格別である。
大槻能楽堂にはお父上が此の舞台に立たれた事があったとか。LINEで連絡来たそうだ。
「此処でLINEって言ってよいですか」
ええんちゃうかな、伝統的な和の空間だけどPA通してるし、能楽だって時代時代にアップデートしてるだろうし、MCだし。
(そういう事でもないか)
能は出番ギリギリ迄観てたそうだ。夢中になって観てたら「次、出番です」って呼ばれたとか。
総ちゃんピーちゃんの仲だが、呼ぶ時は尊敬もあって「竹原さん」になっちゃうとか。
其の竹原さんの「おーい!おーい!!」をカバー。
つよい。
歌もギターも何処からどう観ても聴いても山内総一郎なんだが、あの”つよつよ感”は竹原ピストル
すごい化学反応起こってる。
バンドメンバーの事を歌いました、という「白」も。じーん。
最後の大阪!な「東京」では脇正面を煽りに行っている。
あゝフリーダム山内も観られて良かった。
”歌者*2”である山内総一郎のギターインストソロも聴きたいな、観たいな。
ギターでも「歌う」人だから。

竹原ピストル

サウンドチェックも御自身が登場(橋懸かりでトークしている山内が「あ、ピーちゃん」って言ってて解った)、其の儘歌い始める。
先ほど山内もカバーした「おーい!おーい!!」で始まる。
後のMCで「安達原」が怖かった、畏れを感じたという話をしていたが、自分は竹原ピストルから畏れを感じた。
怖い。あったかいんだけど怖い。
目を一瞬でも逸らしたら首斬られそうなんだ。
あんなライブやる人を「ピーちゃん」とは呼べない。
吉田拓郎の「落陽」もカバーしてはったけど、あんなに凄まじい歌だっけ?
MCのほんわかした雰囲気とのギャップも凄まじい。
チューニングした後ギターの弦拭いて、其の続きで顔拭くのが可愛らしくて。
笑いが起こるのが「あれ?」だったらしい。
ギターだけ、又は顔だけ拭いても何も起こらない、両方拭いたら笑いが起こるんだ、って。
能は山内と一緒に観てたそうだが、鬼女が現れた所はほんま怖かったそうだ。
「総ちゃんが居なくなって・・・」って話していた。
「よー、そこの若いの」は手拍子しながら観た。
前前からサビらへんの拍子が「変拍子?」と気になっていたが、手拍子しながら観ていて全部四拍子なんだと解った。
Amazing Grace」も聴けてよかった。
今迄何故か10分くらいある曲だと思っていた、のでちょっとびつくり。
ミジンコくらい小さくなって~って、発想がユーモラスだけど、大切な人を想う気持ちがすごく伝わる、解る。
「初詣」の鳥居を潜る形容もユーモラスなんだけど、”どん詰まる”感が刺さってくる。

今回、倍率低そうなんで中正面席を取ったんだが、柱で糸繰りの下りが見えず、ちょっと惜しい事をした。
弾き語りはばっちりド正面なんですけども。
後で座席表見たら、B席に割り当たってるとこだった。
今度能を観る機会があったら、正面席か脇正面席にしよう。

お召し物等等こんな感じでしたよ、と。
rooftop1976.com

どうでもいいニュース:
大阪城の近く(?)なんやね。

あんまり大阪の地理が解っていないのであった。

*1:こちらも演者か

*2:ソロアルバムのタイトルが「歌者」