社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

ぼけますから、よろしくお願いします。

連休だが雨。
台風、どうやら「夕焼け目撃者」観に行こうとしてるね?

「ぼけますから、よろしくお願いします。」(信友直子/新潮文庫)読んだ。

読んだのは文庫版。
ディレクターとしてドキュメンタリー番組を作っている著者と、御両親の話。
タイトルの「ぼけますから、よろしくお願いします。」は、実際にお母上が著者に仰った言葉だそうだ。
御自身の御家族を取材するというのは大変だっただろうけど、”取材対象”として客観視した/そういう癖的なものがあったから、現実を受け止められたのかな、と思った。
又はお母上含めて人生を面白がる、人生楽しんだもの勝ち!という考え方でいらっしゃったからか。
逆に言うと、人生を面白がれる人でも認知症になるのか・・・。
文章は穏やかだけど、実際ヘヴィだったんかもしれん。
ポジティブだったお母上がネガティブになってしまわれるのは、今迄出来ていた事が出来なくなる姿を見るよりお辛かったのでは。
フォローしながら今迄やってなかった家事をして*1、時には「言っても無駄」とはならずに叱るべき時には叱ってはるお父上凄いな。

究めておられた書をお辞めになった頃からもしかして・・・と考えておられたようだが、何か”前触れ”のような事があって書を辞めたというより、辞めた事がトリガーになったのでは、と思った。

「年をとったんだから、しょうがない」、という精神は認知症とは関係なく大事かも。
「しょうがない」で諦めてしまうのではなく「しょうがないから違う方法にしよう」「~違う事をしよう」みたいな考え方の転換。
其れすらも出来なくなるのが認知症なのかもしれないが・・・。

どうでもいいニュース:
自分の祖母(父方・母方両方)、友人の親御さん、本等で知る認知症の当人や御家族の話を見ても、ほんま人によって全然違うんやなぁ、と。
父方祖母に最後に会う前に「覚悟しときや」と言われた事(そう言った父の憔悴したような様子は見た事無かった)、ボケてんねんと解っていても我が子憎しで孫まで罵倒した母方祖母の様子を思い出して、読むのちょっとしんどかった。
素で思い出したのもあるし、「こんなふうに穏やかだったらよかったのに」と思ったのもあるし。
認知症でも少しずつ・・・じゃなくていきなり亡くなる場合もあるし。。。
しんどくても認知症絡みの本を読みたがるのは、少しずつ”備え”たいのかもしれないし、もし自分がそうなった場合にどうあればよいのかシミュレーションしたのかもしれない。

*1:出来るけどお母上のやり方で出来るように敢えてやってはらへんかったのかも