社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

新しい時代への歌

サッカー自体にはそんなに興味ないしマスコミの謎盛り上がりには正直うんざりするが、Twitterでフォローしてる色んな立場・趣味の人達がめいめいに大喜びして大盛り上がりしてるのは好きだし、見ていて楽しい。
マツも大喜びしてはるやろな。

「新しい時代への歌」(サラ・ピンスカー/竹書房文庫)読んだ。

感染症とテロの影響で人が集まれなくなった世界で、ステージ・ホロ・ライブの出演者を探すローズマリーとビフォー最後にライブをやったルースの話。
集まれないのでライブはステージ・ホロ・ライブというVR的な配信ライブで行われている、生のライブは闇営業的に行われている。
ローズマリーはルースをステージ・ホロ・ライブに引っ張り出す(?)事は出来るのか。
ライブの現場はどうなってしまうのか。

文章がしちめんどくさい(自分が超めんどくさいモードをぶっちぎって読んでた所為だと思うが)。
装置はSFだけど、あまりSF的ではない。
普通に音楽業界描いた小説なような気がする。
売り出す側の型に当て嵌めて世に送り出す、とかあるあるやん何時の時代も。
野に帰れるか野が破壊されてるかの違いで・・・此れはでかいな。
音楽シーンの在り方の違いがフィクションだからなのか、国が違うからなのか。
某ソロドラマーのライブ活動は、此の物語のルースに近いのかもしんない。
そんな話はどうでもいい。
「恐怖はウイルス。音楽もウイルスだけど、ワクチンでもあり治療薬でもある」(p.312)は此の御時勢に読むと刺さりますな。

「オープン・ロードの聖母様」でああなったのも分かる気がする。
レコーディング的にライブ収録するならやりづらいだろうな。
双方向感出せる技術は生み出せなかったのかしらん。
逆に此のスタイルだから世に出た、ライブしたいと思った人もあるんじゃないか。
(よく考えたら、何時ぞやのLITEは自宅で此のスタイルで配信ライブやってたよなぁ)
人混みに恐怖を覚える人が多数なような時代なら尚更。
てか、インディーズ用のステージ・ホロも作りゃいいのにな、ばかだなースーパーウォリー。
あと何も態態現地に赴いて発掘しなくていいんじゃね?
破壊が目的なんすかねぇ。

「一緒に新たなものを生みだそう」と言っても、ビフォーに音楽活動してきた人とアフターしか知らない人とでは分かり合えないと思う。
だけどお互いに歩み寄って生み出そうとする事は出来るんじゃないだろうか。
そんなラストだと自分は思った。
生のライブ、ステージ・ホロ・ライブ、どちらが勝ってるか、じゃなくて両方の良いとこを逐次選択して活動していく、というのもアリなんじゃないかしらん。
そういう姿も描かれれば・・・と思ったけど、作者がそういう人ではないのか。