社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

新版 非行の社会学

此のご時勢、普段からあるあるな体調不良も「もしかして新コロ・・・?」って不安になる。
花粉症と新コロの判別が難しい、という話もあるし。

「新版 非行の社会学」(大村英昭世界思想社)読んだ。
※サムネ用に貼ってた本が間違っていたので消したよ
世界思想ゼミナールのシリーズは読み易いよ。
実家に3冊あった。其のうちの1冊。
大村先生の授業取ってて、其の時の教科書だったやつ。
研究の為にヤー様の客分した事あるとか、内容も喋りもめちゃくちゃ面白かったし、自分のベースに授業内容が少し染み込んでいる。
授業では「予言の自己成就」についてもしっかりやった記憶があるが、此の本では少しだけ。
大半がデュルケームアノミーがどうたらこうたらという、アレである。
あとラベリング論。

非行問題が深刻化している!低年齢化しつつある!・・・ていうけど、どうかな?
「知能犯増えてる!」と言うけど放置自転車パチった奴が多かった、放置自転車自体が増えているのも原因かもよ?
急減して見える時期は安保闘争の頃で少年犯罪取り締まってる場合じゃなかったのでは、取り締まる側の事情もあるかもよ?
勿論、ダメなもんはダメですけど。
どうとでもデータは読めてしまう。
なんか屁理屈っぽいなーと思わないでもないが、問題はマスコミ報道等が騒ぎすぎているのではないかという事。
そういうレッテル貼っちゃう事に弊害が出てくる。
「○○だ」とラベリングする→「どうせワシは○○だ」→実際に○○になっちゃう、という。
(此れが”予言の自己成就”というやつ。)
当時からマスコミは世間を煽ってたんだな・・・。
其れはさておき、「既存の常識・理論を疑え」っていうアプローチが社会学だと思ってる。
でも言いっぱなしじゃいかんのだよな、論理立てて説明出来なきゃいけない。

今改めて読むと、昨今のアレコレも「こういう事か」って当てはまるような所がある。
「昔なら諦められていたものが諦めきれない」、なんか思い当たるふしがあるぞ。
「制限が無いと思えば思うほど、ほんの僅かの制限にも耐えられない」、って令和の今そんな感じだよなぁ。
数年前まで自由に行き来出来たし思う存分飲食して騒げたのに今は出来ない、他の国は制限とっぱらってるのに日本はマスクだの飲食だの制限ガー、ってやつな。
逆にナンタラ警察みたいなやつも、「手に入れられない欲しいものが憎悪の対象になる」というやつなのかもしれない。
「ワシら我慢してるのにアイツらは自由を手にしてる!」っていう。
どちらにしても「新コロだもの仕方ないもんなー」って諦められない。
良い意味での”諦め”が必要なのかもなー。
無理のない程度に制限掛けつつ緩めつつ。
気持ちよくええ感じに諦められる為に、補償は欲しいような気がするし、お上のアホンダラはええかげんにせえや!って思いますけども。

ところで、此れ以降の犯罪社会学や病理社会学はどうなってるんだろうね。
此の本が出たのも自分が授業受けたのも某事件の前なんだが、某事件に関しては大村先生はどう分析しておられたのだろう。