社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

認知症世界の歩き方

結局「私が◯◯にハマる10の理由」が書けなかった・・・くやしい
もう色々ダメなのかもしんない。

認知症世界の歩き方」(筧裕介/ライツ社)読んだ。

デザインの方から認知症の課題解決しましょう、という観点。
認知症のある方にインタビューした内容を”旅行記”として纏め、「こういう特性がある/こういう機能に障害がある、なのでこういう行動をしてしまう」というのを学ぶ本である。
わかりやすいし、読みやすい。
(ページ渡るのは敢えて、かな。)
読み物として面白いのだ。
自分の大好きな事例集的なとこもあって。
実際に認知症の方がどう考えておられるのか、知る機会も無いし。
父方・母方両方の祖母が認知症だったが、思い出話を「うんうん」って聞けても、「タイル貼りだと段差が解りづらい」「お風呂気持ち悪い」みたいな話は聞けなかったからなぁ。。。

人間が行動する時に知覚→判断→行動というプロセスを踏むが、知覚が出来ない、知覚できても判断が出来ない。
なので玄関マットが穴に見えたり、トイレのマークが描いてあっても見落としてしまったりするんだそうだ。
買い物のお会計だって手順を分解していけば支払額を聞く→記憶→小銭・紙幣の組み合わせを計算→探す→掴む→渡す、となかなかに複雑である。
ICカードのチャージ」でもカード入れたり金額入れたりする順序が違うと出来なくなる。
「チャージ」という言葉が其の動作に結び付いてないと出来ないし。
そういう”特性”が解れば手を打てるよね。
扉閉めて見えなくなったら「無い」と認識してしまうのなら、何があるか書いて貼っておいたり扉とっぱらったりすればよい。
お会計が難しいなら1つ1つゆっくり落ち着いてやっていきましょう。
(なのでレジで一生懸命支払いしてはる人が居ても苛苛しないように心掛けている、但しクレーマーは別だ)
時間の感覚がズレてきてお素麺茹でる時間が、タイマーを使って忘れないようにしよう、とか。

被害妄想入るの、何でやろね。
「お金が無い」「使った覚えが無い」というのは本人の中では正しい、其の辻褄合わせが「誰かが盗んだ」になるのは何故なんだろう。
本人の中に登場するのが家族や施設職員なら、誰か=家族、施設職員になっちゃうんだろうか。
母方のばーちゃん、娘(自分のおかん)憎しで孫(自分)も娘の夫(自分のおとん)もdisりまくってた。
昔の記憶が現在の記憶にオーバーラップするからか。
そういうのは理屈として解っていても、気持ちとしては辛いもんがあるんだよなぁ・・・其れはまた別のフェーズなのか。
まずは特性を理解して、デザインで解決出来る所は実行しちゃいましょうという事である。

認知症の人への理解だけじゃなく、認知症じゃないけど地味に“生きづらい”場合にも役に立ちそう。
思い当たるケース、「え、それは“あるある”じゃないん?」なケースがあって。
人の顔が解らない(覚えられない)、イメージは浮かんでるけど言葉に詰まる、周囲の音が気になって話が聞けない・・・普段からそうだ。
正方形のタイル貼ってあると階段踏み外しそうになる、たまに。急いで走ってる時はそっちに注意が向いちゃうからかな。
書きたい内容が想起できない、文章化出来ないとか・・・今まさにそんな感じである。
(そういえば、最初にうつの診断下ったのは物忘れドックの結果で「うつが原因の仮性痴呆*1」だったもんな・・・其処からあんまり快復出来てないのかも)
生活の工夫出来るとこ、いっぱいあるかも、って気づけた。
そういう方面で気になる方も是非。

*1:まだギリギリ”痴呆症”って言ってた時代だったと思う