年末から耳ががさがさしてるのが気になっている。
鼻はそーっとかんでいるが、たまに耳が詰まる。
「神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する」(フミコフミオ/KADOKAWA)読んだ。
神の真髄、見てみたいやん。神の真髄・・・書く事、書いて捨てる事だった。
紙に書いて、自由に書く。
消さない、残さない。
思考を紙に書き出す、書き出す事で自分の言葉に変換・定義し、ジャッジする事が出来る。
ブレーンストーミング&KJ法に似てる気がした。
書いてみて解る事もある。
厭な事を笑い飛ばす事も出来るし、違う見方をして「良くないと思ってたけど、こういう良さもあるよね」と気づく事も出来る。
悩み、ネガティブを分解する・・・って、スーパーポジティブだなぁ。
そして「必ず捨てる」というのがええやん、と思った。
此の本を読みながら、バーッて実際に書いてみた。
書いたのを後で見たらすっげー恥ずかしい。。。
「恥ずかしい」って思っちゃうとちょっと委縮してしまう、でも書いたのを捨てちゃうのであればあんまり恥ずかしくないかも。
兎に角自由に書く、書いて知って捨てる。
自分の中に自由を持ち、その自由を育てる。
確かに最近は自由に書けなくなってた。此れでもな!
書いたなら見て貰いたい、でも「見られる」事をちらっと意識しちゃうと「ちょっとこれはよろしくないかな」控えめになってしまう。
自分が面白かったら良いのだ、まずは。
読んだ人の心を揺さぶる「物語」・・・はてなブログに求めてるん、此れだ!
ブログに関する自分の中のモヤモヤ自体を、自分で書き捨てて言語化する前にフミコさんに形にして頂いたような気分である。
自分が面白いなぁと思う人のエントリって、文章も書き方も全部自由だ。
アフィの為に書いてますブログの人も読めばいいのに。
「書いたよ」通知をツイに流したらたまにイイネが付く、どんな人かな?と思ったらPVだ稼ぎだブログ書かなきゃ!ばっかりであんまり楽しそうじゃない、なのでエントリ読む気しないんだよなぁ。
そういうの見て自分が感じた事、思った事を書き捨てていけば、わたしの文章のブラッシュアップには使えるのかもしんない。
そもそも、自分は「物語」を書けているだろうか。
良くも悪くも面白いと思う事をダーッと書いてはいる。
どうでもいいニュース:
DMで互助会持ち掛けてきた人(禁止だし不要ですよと断ったらブロックされた)、続いてんのかねぇ。