社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

サカナとヤクザ

ライブ中より転換中の方が声が・・・という話を見た。
ライブ中声上げないでちゃんと観て楽しんではるねんな。
演者は寂しそう、快く思ってなさそうだが。
一方で転換中に緩んでしまったら意味が無いような、其処はライブ中が無声すぎてそう聞こえたんだと思いたい。
てか、声出さない、飲まないとライブハウスで楽しめないと思われてるんだろうか、其の演者には。
だったら、去年行かなくて良かった。

「サカナとヤクザ」(鈴木智彦/小学館文庫)読んだ。

読むんじゃなかった・・・海産物食べづらくなる。特にウナギとアワビ。
(あんまり食べる機会ないけど)
獲れ過ぎたから今日はやめとこ、というのも厳しいだろうし、多くなって大っぴらに出せない分をこっそり・・・は仕方ないのかもしれない。
善悪は別として。
「こっそり売りたいから多めに獲った」じゃ漁獲量制限の意味無くなるし。
しかし漁師とつーつーではなく根こそぎって、東北の復興邪魔してない?
長期的視野より目先の大金、命長くない、少なくとも今の状態が長く続かないのが解ってるから、稼げるうちに稼ぐって事か。
長い目で見てるうちにパクられたり殺られたりするから?
自分の身内以外はどうでもいい、とか。
じゃあどうしたらいいんだろうな。
ヤクザ撲滅したって違う輩が来るんでしょうし、構造改革も出来なさそうだし。。。
怪しいのは食べないとしても、目の前のカニがどんな経緯で獲られて卓上に上がってるかは、食べる人には解らない。
「此れは密漁じゃありません」な証明書作るとしても、偽造してそうだし。
うーむ。

読み物としては面白かった。
身近なモノだが、蠢いてるのは”自分の知らない”世界。