社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

すれ違いの夏だった

新コロで炙り出された物事は色々あるけれど、まさかと思う形で冷めたアーティストが幾つか。
色々仰るけど、結局は上からの押し付けが、好きなモノと其れを共有する仲間を直撃してるのが厭なんでしょ?とか。
新コロのクソな制限だらけの日々だが、そういう一切合切を知恵絞ってユーモアと皮肉に変換して殴り返すぞ!的に活動する人だと思ってた。
丸刈り強制の中、ぎりぎり許された範囲で伸ばした1cm弱の髪をブリーチする」みたいな感じの。
其れも1年半以上続けば限界なんだろうけどさ。
そういう言動見てるからな。
其れと別で、「其の言動が本当だったら、うちの友人の目に留まらないで欲しい」てな人とか。
医療関係者の友人が知ったら卒倒するよ。ショックで。
彼の先輩は嗜めないんだろうか、と。

・SPUR
モルカーポーチ欲しくて買ってたの、読むの忘れてた(^_^;)
野口路代選手の背中が綺麗。流石アスリート。
こういうご時勢だからエコだのなんだの意識高い、ただ水着&サンダルでビーチクリーンは危ないような気が。
・ランティエ
今野敏さんのお写真が載っている。知らんかったら警察の人やんなーって思う。
連載小説で新コロが特別なモノではなくさらっと触れられている作品があった。
今迄は新コロを思わせるが”感染症”みたいな表現のが多かったような。
作中でも「収まってない」が、扱い方によってはちょっと希望を持たせる事も可能なんだな。
・MUSICA
BRAHMANの「何かが始まる時は、絶対に明るくない」「どんな時代も楽しむことで生き抜こうとしていたんだろうな」「『自分』っていう存在は自分と他者があって初めて成立してるんだよ」という考え方は持っていたい。
「手の内を隠す」話とか。声以外で伝える技術とか。
としろうさんだって色んな現場の色んな人達が苦しんでるの見てきてはる筈、其の上で今出来る事をやろうとしてはる。
あとヒップホップの人の「利用してやるよ」っていう強さ。此の状況を絶対利用してやるんだ、っていう。
(其れは新コロの話ではないが、多分同じようにしはると思う)
なにリミかはさておき、BRAHMANの直後に持ってくるの、なかなかにお厳しい。
フジロックの振り返りでファンの意識の強さについて語られているが、強さはあっても合致は出来なかったのでは?と思った。
沢山の様々な思想を持った人が集まってるから合致は出来ないんだろう、出来ないなりに「厭だけど此処は仕方ないよね」って思い合う事は出来たんだろうか。
客同士くらいは出来てたんだろうか。
あと、出演者はどうだったんですか。
当日入り&すぐ帰宅てな人がある一方で、新コロ前並みのゆるさで出てった若手あったし、現地(宿かな?)で飲み会やってた人らがあったという話も見た。
そういう意識つうか気持ちのすれ違いを痛感させられた夏だと思う。

フジロックも他の音楽フェスもその他大人数集まるイベントも、現場の人達は頑張った参加者も頑張った。
ただ現場に居なかった人には足りなく見えたかもしれないし、実際極極一部のクソがやらかしてて、そういうの期待しちゃうクソゲスマスコミやクソくそクソまとめがクソをほじくりに行ってたんでしょうな。
ただ波物語はあかん。
とはいえ、ああいう刹那的ヤケクソパリピ達の心理を分析して他に生かす事は出来ないんだろうか。
波物語だって本来の意味で「やばい」って思ってた人はあったんやろし。知らんだけで。
真木蔵人はちゃんと注意してたし。
他にも居たかも(と思いたい)。