大人になってシステムの仕事に慣れた頃から、「高校数学もうちょっと真面目にやっときゃよかった」と思うようになった。
物理ももうちょっと頑張ったらよかったな。
そしたら量子力学にとっつく事が出来たのかもしれない。
思う所あって高校生の時にブルーバックスの超ひも理論についての本読んだけども。
26次元で世界がひも、てのだけ覚えている。
心理学って文系学部で学べるんだ、と知ってから「じゃあ関学で心理学と軽音頑張る」と決めて理数系ぶん投げたんだが、今になってちょっと後悔している。
なので若者は苦手科目を捨てるなよ、後から知りたくなる事があるかもしれない。いつどうなるかわからない。
その親や先輩にあたる人達は、言っといてなー。
「マレ・サカチのたったひとつの贈物」(王城夕紀/中公文庫)読んだ。
某流泉書房の「既存のフェアをぶっ飛ばせ!!」フェアで買ったうちの1冊。(この書店、すっげーSF・ミステリに強くないですか?それが垂水商店街に”町の本屋さん”として存在してるっていう)
「量子病」という、自らの意思と関係なく世界中にぽんぽん”跳んで”しまう坂知稀の物語である。
世界各地に跳び、様様な人に出会って影響受けたり与えたりするんだろ?と思っていた。
だいたい正解で、全然違った。
ワールドダウンによって富裕層と貧困層の格差が大きくなっている。
ポータブルコンピュータ(ポタコン)ですぐネットに繋がるし、翻訳ソフトで違う国の言葉が通じる世界なのに。
いや、世界中繋がれるからワールドダウンが起こったのだろうか。
そんな世界でネット上の発言を解析するジャンの元にマレは跳んだ。
永遠の楽土・・・脳をスキャンしてネットに移住する計画を進める老人の元にマレは跳んだ。
この2つの話を筋に、やりたい事を忘れた青年、南米の農場の祖父・父・娘、靴屋を閉めようとする老夫婦、次次と顔が変わっていく男・・・等のエピソードが行き来する。
何故そうなるのかは解らないし治る事も寛解する事も無い、ただ求められた所に跳ぶようである。
誰が何をマレに求めているかは書かれていない。
母親やジャンの元には複数回跳べたのは、そういう事だからかもしれない。
とすると、またジャンの元には跳べたんだろうか。そうだといいな。
1つ1つの章の長さはばらばらで、その事が如何にマレが目まぐるしく跳んだのかを表しているようだ。
其其の文章が美しい。
「世界が始まる直前の、何かが生まれる予感だけがある。きっと世界が生まれる前には、こういう時間があった」(p.16)
「貴方は誰よりも溜めた。でも、積み重なっているようには見えない」(p.18)
とか。
因みに最初のはオペラが始まる直前の楽団の調音から演奏が始まっていく時の言葉である。
文章が美しくて、強い。
南米の農場の話が好きだ。泣きそうになった。この話の為に、「マレ・サカチのたったひとつの贈物」という物語を読み進めていたのでは?とさえ思ったくらい。
彼女の”贈物”の意味がよく解るエピソードでもあると思う。
そして”ネットの物語”でもあると思う。
人との繋がりというネットではなく。
インターネットで自由に話をしているようで、ほんのちょっとした匙加減で世界が変わってしまう。
誰も気づかないうちに。
「何でこんな事になったんだろう」と思っても、取り返しがつかない。
そういう怖さも書かれている。
ところで、仮にジャンのポタコンを借りて文章を書いたら、それは残せたんだろうか。
物理的には跳んだ後に残せないんだとしても。