神戸のカフェの犬が客の手を噛んで逮捕で云々、その店の人が釈放された後で客の前に現れて威迫で再逮捕云々・・・の店。
知ってる店だった。昔昔行った事ある。
まさかと思って検索してたら変なブログがわらわら。
あれも捕まらないんだろうか。。。
「つけびの村 噂が5人を殺したのか?」(高橋ユキ/晶文社)読んだ。
吉田修一「犯罪小説集」にこの事件をモチーフにした話あったな。「万屋善次郎」だったか。山口の限界集落で起こった殺人・放火事件のルポである。
noteでちょっとだけ読んでいた。
著者は元々この集落の”夜這い風習”について取材しようとしていた、しかし殺人・放火事件について調べていく事になる。
そして書籍化するにあたり、更に追加取材を行い、真実に迫る。
村だし残忍な事件起こってるしマスコミ追い回すし、でなかなか住民は話をしてくれない。
話は出てくるが具体的ないじめの内容は出てこない。
犯人にも接見し、手紙の遣り取りをしているが、その手紙の字が怖い。おどろおどろしい。
以下ちょっとネタバレあり。
集落内の一部住民の寄り合いで話され、拡散された”うわさ話”、というのはあった。
で、犯人はそれを「自分について悪口を言われている」と解釈し、越してきた時にあったっぽい妄想性障害が悪化、何事も悪く受け止めいじめられ、最後に犯行に及んだ、という事らしい。(少なくとも自分はそう解釈したぞ)
そして地区の生き字引の語る真相は”氏神様の祟り”、被害者達が悪口を言ったり喧嘩したり、氏子を外れると駄々こねたりしたから、らしい。
えっ!?
「10年経ったら教える」と言い辛そうにしていて、語らない理由も解らなくはないが、語らない事で尚更影響与えないか、困らないか・・・と読んでいたら。
ただ、そう仰る理由もあるんだろうなと思った。
そういう事にしないと気持ちの持っていきようが無くて落ち着かない、やりきれないのでは。
うわさ話が災いする、という意味でも。
人の行き来の少ない、他に娯楽もないネット環境もそんな整ってないような場所では”うわさ話”も娯楽になるのだろう、だがご近所さんにどう聞かれているのかは解らない。
他人の事をある事ない事話して娯楽にするのは自分達の中だけだと思っているだろうけど、神様は見てるんだぞ、と。
あとがきに事件ノンフィクションの形式について触れられている。
成程と思うが、ではこのルポはどうしたかったんだろう。
事件の真相を追いたかったのか、”うわさ”の怖さについて世に問うてみたかったのか、妄想性障害の罪を問う難しさを書きたかったのか。
”うわさ”は地区内だけじゃない、ニュースとして報道されてネット等で話題になる事である事ない事語られて事実が歪んで消費されていく。
もしかしたら「つけびの村」がうわさの源になるのかもしれない、こうして感想書く自分の文章も加担してしまうのかもしれない。。。
あらすじ読むとそういうテーマなのかと思ったんだが、裁判の過程で弁護人が下手こいて妄想性障害が悪化したっぽい、そうなると加害者が真実を語れなくなってしまう・・・という話もそこそこあった。
いずれも興味あるテーマだ、だがとっちらかっちゃったのような感じがする。
うわさの件はうわさの件で書いて、章を分ける等して裁判の話を書いたらよかったんでは。
noteで読めた部分はうわさの件だけだったんで、あんまり気にならなかった。
真相が明らかになったかどうか、とは全然違う、それ以前のところでモヤモヤしてしまった。
現代のノンフィクションの在り方に一石を投じた・・・と考えたらよいのか。
ところでコープの名前を出す必要はあったんだろうか。
「共同購入」で通じるのでは。
別の事件の話も著者には大事な事なんだろうが、正直どうでもよかった。
後半、真相に迫りつつあるとこで、しかも何かしら絡んでくるのかと思ったらあんまり関係なかったような。