社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

認知症フレンドリー社会

仕事は一旦納まったものの夕方に次の仕事が。
年明けからスタートで良いとは言って貰ったが他の業務との兼ね合いで結局もりもりに頑張って仕事納めとなった。
帰りしな「先に失礼します」に「今年もお世話になりました」を添えると付近の方方がわーっと立ち上がって挨拶して下さって、なんかエライ人にでもなった気分でちょっと照れ臭かった。

そんなこんなで残り2日で出来る所まで掃除する。
多分コンロ周りで力尽きる。。。

認知症フレンドリー社会」(徳田雄人/岩波新著)読んだ。

「ほんの入り口」行った時に買った本の1冊。
認知症の人が増えている!
・・・というのは認知症になる前に亡くなる人が減った、長寿になったという事なのだそうだ。
85歳越えたら半分位の人が認知症、らしい。
本人側が何とか手を打てたらいいけど限界はある。
ならば社会が変わると良いのでは。
認知症の人だってみんな施設で暮らしている訳ではない、街中で暮らしておられる方も多い。
そういう人が暮らしていきやすい社会・・・認知症フレンドリー社会になればいいんじゃないか?
認知症に対処して事故が起こらないよう、危なくないよう制限掛けていきましょう、というのではなく。
・・・という話である。
実例としてイギリスや日本で行われている活動が紹介されている。
活動の中には知る為の施策も含まれる。
其れは「認知症について、非当事者が知る」のもあれば「当事者が必要な情報を得る為に知る」のもある。
先ずは知らなきゃ手は打てない。

物理的に余裕があれば難しくないんだろうけど、世の中人手絞ったり場所を統廃合したり、ギリギリにし過ぎて難しくなってるのかも。。。
行先やどうして欲しいか(着いたら声掛けて欲しい等)を書いたバスのヘルプカードや、スーパーのBGM切って静かに買い物出来るようにしたり時間掛かっても良いスローレーンを用意するスローショッピングみたいな事だったら実行出来そうだし、認知症以外の人にも便利そう。
もしかしたら認知症フレンドリーっていうのは其れ以外の人にとってもゆったり便利でいられる仕組みなのかもしれない。
其処をアピールすれば、受け入れられやすくなりそうだ。
もうちょっと人にも場所にも時間にも余裕が出来たらよいのに、と思いながら読んだ。
費用めっちゃ掛かるけど。
国や自治体から助成があれば・・・ってそっちも余裕無いのか。
たんまり平気の平ちゃんで金掛けるイベントとかあるのになー、トンチキ宗教団体が毟ってるのになー、なんで必要なとこにはお金が無いんだろうなー。
金配りの人、ほんまに金あるんやったら福祉に回して欲しいわ。ほんまやったらな。
(詐欺やったら警察に捕まる以上にしんどい目に遭うたらええねや)
どうにかなんないかしらん。

個人的には認知症フレンドリー社会が進む一方で、当人には「病気」と一旦名付けてしまう方が良いような気がする。
此の本では「其れも問題あるぞ」という論も登場するが。
ちょっとずつ”そう”なっていく、変化するのが自分で解るの怖そう。
そういう時に「認知症ですね」と言われたらショックではある*1、でも一旦そう名付けた上で「こういう症状・傾向があるから打てる手を打ちましょう」というやり方が出来たら暮らしやすくなるんじゃないだろうか。

多分此の本で今年は読み納めになるのではないかと思われ。
後は雑誌・フリーペーパーがたんまりあるから読むかなー、時間が取れたら。

*1:物忘れドック受けた時に「うつが原因の仮性痴呆」って言われた時は「今後の人生どうしようか」と思うレベルでショックだった