社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

わたしの推しとは何じゃろな

特別お題「わたしの推し

此処数年、”推し”とは何ぞ?と考える事が増えてきた。何度も書いてますけども。
”推し”=”好き”、だけでは済まなくなってるような気がして。
だとすると自分に推しはいるのだろうか・・・ううむ。
でもこういうお題でTHE BACK HORN松田晋二について語りたいと思う、とすると推しはTHE BACK HORN、マツなのかなぁ。
THE BACK HORNの音・声が心に染む、其れがとても心地よい。
聴いていてふと心に飛び込む歌詞の鋭さ、温かさ。
あと4人の関係性。
一見フリーダムなんだがお互いにお互いの良いところを尊重して活かす、補う。
・・・ってな具合でカッコいいのですよ(意味不明)。
でも決して見た目から入ったんではない、とは言っておきたい。
好きなとこはいっぱいある筈なんだがなぁ、もっとある筈。
それでもファン、の筈。
なんだろうな、自分にしては珍しく長くファンやってるもんで、もはや日常、生活である。
聴きたい時に聴く(ほんとはバンドでも演りたい)、ライブは日常の中のハレの日として行く、雑誌・フリーペーパー等に掲載あれば読む。
レギュラーのラジオ番組には「メッセージあったら何かの足しになるかな」とライブ・作品の感想やお題に関するメッセージを送る。
キャンディーの「冬のミルク」を見かけたら買う、コバルトブルーという色名を見たらあのリフを思い出す。
THE BACK HORN観たいから日々真っ当に生きるし健康にも気を配る。
THE BACK HORNをきっかけに始めたドラムの為に体づくり・・・言うても膝に負担かけないよう体重落とそうとするとか時々体幹意識したりする程度だが。
嬉しい時、悲しい時にふとTHE BACK HORNが居る、ちょっと離れてても帰ってくるところとしてTHE BACK HORNがある。
「おはよう」や「おやすみ」のようにTHE BACK HORNが居る。
人気エントリに上がってたエントリに「暮らしの中に彼女がいる」と書かれている方があって「それなー!」ってなってた。
ああいうのが理想なのかもしんない。

で、推しを通じて色んな人と出会ってきたが、楽しい事ばかりではなかった。
同じバンド・アーティストが好きでも人間としての相性は別、というのもあるけれど。
最近は”推し”というものが多様化してきて、同じバンド・アーティストが好きでも”推し方”のスタンスの違いが合わないなー、と思う事が。
合わないなりのすり合わせに失敗したというか。
たまたま読んでいた「豊かさの精神病理」(大平健/岩波新書)では”モノ語り”をする人々として、モノに依存する人・・・例えばモノについて語る事で自分や周りの人間関係を語ったり、モノを与えるのが愛だったりする人について紹介されている。
“モノ語り”の“モノ”が今は“コンテンツ”になってるんではないか。
推しや推しに関するグッズだけじゃなく、“ホニャララする/しているコト”がコンテンツ。
推しについて語るんじゃなく、”推しが何か””推しに何をしたか””何を買ったか”で語る、みたいな。
そういうスタンスが合う人とは付き合いが続くんだろうなー。
脱線ついでに更に脱線すると、「あさイチ」の推し活特集で激しくモヤるのは、「推しが好き過ぎて推しの為に行動した」という現象について「それだけ推しへの情熱があるんだな」じゃなく「行動した」部分が矢鱈フィーチャーされてたからかもなぁ、と思った。
色んな推し方がありますねー、じゃ済まなくなって推しの為に何か(社会)活動しよう!みたいな。

どうでもいいニュース:
こないだのフミコさんの本の感想の中で「バーッて実際に書いてみた」って言ってた時の書き捨てをたたきにして此れ書いてます・・・書こうとしてました。