社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

樽とタタン

去年の日記等を見ていると「あの時こんな本読んでたのか/考えてたのか」と思う、すっかり忘れていた。
此れから、どんどん記憶が薄れていくのだろうか。
厭な記憶だったらどんどん薄れて行って構わない、でも嬉しい記憶が薄れるのは悲しい。

「樽とタタン」(中島京子新潮文庫)読んだ。

以前読んだ「妻が椎茸だったころ」が面白かったので、他のも読んでみたいと思っていた。
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今から30年以上前、学校帰りに喫茶店に預けられていた子の話。
おじいさんの小説家に「タタン」とあだ名を付けられたり、「みらいから来た」と話す女性が来たり。
タタンが何故喫茶店に預けられていたか、という話もある。

全体を通じて、家を出る事が怖かった、学校が苦手だったタタンがお祖母ちゃんが「ぴっと入って」きて喫茶店に来るちょいと変わった人達と関わるようになって、其処から更に外へと向かっていく、其の過程を振り返る物語なんだなと思った。
其れが本当か嘘かはどうでもいい、ただ”過去”として語られる、ちょっと寂しい感じを残しながら。
「みらいから来た」人はほんとに未来から来た人かもよ、分からないまま此の時代で普通の人間として暮らして家族も作ったけど、たまに記憶が戻るとか。