社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

AIとSF

アラームがピーピー鳴る度に「おお、よしよし、お水捨てるさかい、もうちょっと待ってな」、
家を出る度に「みんなでお留守番頑張ってな」と除湿機に(心の中で)話し掛ける今日此の頃。

「AIとSF」(日本SF作家クラブ・編/ハヤカワ文庫JA)読んだ。

2023年の今、世に出て読まれるべきSF短篇アンソロジー
最後の「この文章はAIが書いたものではありません」にあるように、執筆中に次次と新しい情報が出てきている。
そんな中で書き上げるのも大変そう。
初っ端の長谷敏司「準備がいつまで経っても終わらない件」みたいに、準備中に未来が現在、過去になっていってしまう。
しかし「準備が~」はわろた、新喜劇か。
くいだおれ君みたいなファニーなAIなら大歓迎である。

AIの取り扱いやツール・名前の付け方、目の付け所等、人其其である。
本音と建前があったり、解析に専念してたり(でもパネェ)、誤データ食わされたり。
松崎有理「人間はシンギュラリティをいかに迎えるべきか」に「止め方を知らない魔法の道具」というのが出てきて、読み乍ら「成程」と思った。
学習元の”人間”として扱う話もある、人間六度「AIになったさやか」と品田遊「ゴッド・ブレス・ユー」が続くのが趣深い。
こういう、”人間”として扱われた後のAIはどうなるんだろうね。
一方で円城塔土人形と動死体」は良い意味で通常営業である、AIを其の儘扱うんじゃないところとか。

結局、AIだってAIの生み出したナニモノかだって人間と対等なんだろう、現時点では。
AIだから偉いだの駄目だの何だのと言う事じゃない。
どんなにAIが学習・進化しても暫くはまだ人間次第なんだろうな、使い方も判断も其の先どうなるかも。
AIに食わせるお煎餅・・・もとい情報は人間が用意しなきゃなんないんだし。
食わせた後に発生した情報は学習してない(其の時点で無いものは学習出来ないだろう)、しかし後に遡って学習した場合はどうなるのか、というのは検討されてるんだろうか。

以下、ネタバレあるかもなので、気になる方は後日。
「月下組討仏師」「作麼生の鑿」は超絶お勧めするよ!
そもさん!





面白かったり気になったりした作品。
・没友/高山羽根子
さらっと読むとVRの世界で旧友と再会して旅に出ましょう、てな話なんだが。
”私”と繋がろうとしているのは旧友なのか、AIなのか。
旧友は今どうなっているんだろうか。
旧友がAI化してそう、其れはAIが成り代わってるのか、旧友の考え方がAIみたくなってしまっているのか。
抑も”私”は人間なのかAIなのか。他人かもしれない。今読んでる自分だったりしてな。
見えない部分が幾らでも想像出来てしまって怖い。
・Forget me, bot/柞刈湯葉
AIに忘れさせるとは。
”嘘”で重ね書きする事で違う弊害が・・・なのかと思いきや。
「忘れられる」事は存在しない事になってしまうだけじゃない、「忘れられない」人は。。。
智慧練糸/野﨑まど
時の権力者に千体の仏像制作を依頼された仏師の話。
作るの大変だし設計出来る仏師は限られている、だからAI使うのね・・・そんなあほな。
笑うわこんなん。
流石である。
妖ではあるな、確かに。
何で此のタイトルなんだっけ。
其れこそChatGPTかなんかに聞けばいっかー
・覚悟の一句/菅浩江
AIと人間についての対話。
辞世の句みたいなん読むのかと思ってた。
最後、ああーっ、てなった。成程。
そうやってAIが進化していってるのかも、今だって。
・月下組討仏師/竹田人造
全オタクが好きなやつ!みんなこれ読んで!
金剛力士不動明王が戦うっていうだけでも、みんな大好きだろう。
更にばかすげえ愛。なんなの!
言葉が無くなっても「消失した」事は分かってて喪失感が有るのか。
此処迄読んで満足してしまった、まだまだ此れからなのに。
・セルたんクライシス/野尻抱介
なんかすごいAIの話(さっき語彙失って未だ回復出来てない)。
ほっとする。
”つむじ風レベル”は敢えてセルたんが“抜け”を残したのかも。
・作麼生の鑿/飛浩隆
すげえ。見事過ぎる。
此処までたらふく読んできて、改めて「AIとは」「AIの有り様とは」を問われるような感じなんだが、読み始めて急に視界がクリアになったというかコンタクトの度数が上がったというか、見え方が変わった。
此処だけ空気の澄み方が違う。
なんだこれは。
此れが飛さんの文章の力だと言うのかッ!
そうだよ!知らんけど!
此の物語がシンギュラリティってやつかなと思った。

ところで、仏教とSFって相性良いのかしらん。
此のアンソロジーだけで仏師絡みの話が3作あるし、確か円城さんの連載も仏教絡みだったような。
振り返ればブッシャリオンとか法勝寺とかあった。
仏教者から見たSFについて話を伺ってみたい。

※2023/06/04 追記
本が好き!にレビュー書きました→こちら
すると「情報は人間が用意しなきゃならない」について、例を挙げ乍ら「人間が介在しない方が人間以上の結果を出す事があるかもしれない」という趣旨のコメントを頂いたのだが、あくまでも「AIとSF」を読んだ感想、そして2023年の今いまの話なんだよなぁ・・・。
そういう話をしているうちにAI研究が進んでるし学習方法だって変わってきてるかもしれないので、何とも言えない。
というか、実はそういう話もあるんだ、ただ挙げちゃうとネタバレになるから言えないんですよ。

どうでもいいニュース:
一部の絵描き界隈での過度なAI信仰というか、AIで描く方がエライ、みたいなノリは何なんだろうな。
他人の絵を勝手にAIで描き直してリプするとか(大体元絵の魅力が削がれていた)、「利用してない、学習してるだけ」とか、色んな人があった。
学習に使われるのが厭だという事を悪しく言う人もあった。
・・・って言ってると「此れだから反AIは」って言われかねない。
AI自体は良いし使いこなして“描いてる”人は凄いと思うんだが、極一部とはいえあまりに言動が酷くて、AI自体を悪しく言われるのも、むべなるかな。