社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

疲れてるなぁという話

推し疲れの話題を見た。
何処まで推せるか、というか、「自分に無理のない範囲で」が大事。
でないと疲れる、消耗するだけ。
ただ、其の記事で語ってる人は推しの供給が追いきれなくて・・・という以前に海賊版、オフィシャルじゃない動画に手ェ出すのがよくない。

最近、ライブ行くんめんどくさくなってきた。
電車・バスの遅い時間帯の便が減って終バス繰り上がったり多少戻ったり、体力が無くなってきたり、メンタル弱ってきたり。
ライブハウスは(一時期程じゃないにしても)気を配りまくっているので或る意味安心感がある、だが其の道中は人わっさわさだし色んな人が居るし。
何か飲み食いしてから行くにしてもなるべく人の多くないとこで、短時間だけど多少の時間調整は出来るようにしたい・・・等、考える事が増えた。
後は気まずいとか。。。
SNSの使い方含めてスタンス合わない等等思う所があり、特に絡みも無いのでこちらがフォロー外したらブロックされたとかさぁ。
結構前(一時期TwitterのTLの表示が1~2時間分くらいで止まってた頃)の話だけど。
そういう人間関係もめんどくさい。。。
気にしなきゃいいんだが。
数少ない友達と仲良く出来ておればOKな筈である。
あと自分でも不思議なんだが、友人はいいけど、他人の熱烈な推し推しトートイトートイは見てるだけで疲れてきた。
其処は「ワテの分までトートイトートイしてくれる人がいらっしゃるのだな」と割り切るようにしている。

此れが推し疲れっつうやつか。

・・・てな事を考えている所に、強烈な話を目撃した。
雑に説明すると、「推しの全てを称賛します愛します」「ファンは溺愛すべき」「批判するのはファンじゃない」と言い出す人があった。
「ファン同士討論する必要はない」とか。
其の前段にファン同士の叩き合いだの足の引っ張り合いだのあったし、本人やオフィに物申すにしても「其れは無いだろう」と思える位、調子がきつくなってる人は見た事があった。
だから「落ち着こう」「ネガな意見は表現を考慮しよう」となるのは解る。
ただ、ファンだから出来る批判もあると思うのだ。
goo辞書によれば

[名](スル)
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

とある。
別の辞書サイトだと「普通、否定的な意味で使われる」とある、とすると批判というよりは、批評になるのかな。
好きだから考察した上で「もっとこうなったらいいのに」という意見が出るでしょうに。
そして「いや、自分はそうは思わない」という意見もでる、そういう遣り取りの中に新たな発見があるかもしれない。
自分は「ファンだからといって全てを称賛します愛します、とはならない」と考えるけども。
長く応援していれば合わなくなる点も出てくる。
今”溺愛”してる人達だって「私の好きなホニャララじゃない」ってならない保障は無い。
「運営があーでこーで本人が可哀想」みたいになってる人達も見てきた(全く別、他所の界隈で)。
愛は永遠じゃないのよ。

今一番好きなバの字でも、いずれそういう日が来るのだろうと思いながら、気づけば17年経っている。

あああああめんどくさい。
そういう事いちいち気にしてる自分がいちばんめんどくせえ。しねえ。

そんな一週間でした。