同じ小説を数年おきに繰り返し読んで客観的に自分の変化を観測する・・・という話題で自分だったら何だろう?と考えた。
伊藤計劃「虐殺器官」、長谷敏司「あなたのための物語」がそんな感じか。
あと飛浩隆「象られた力」か。
「スーサイドホーム」(柴田勝家/二見ホラー×ミステリ文庫)読んだ。
モーサムの「BIG-S」をBGMにレッツスーサイッ!という話ではないし、そういうテンションでもない。※自分はモーサム版しか知らないがフリクションの曲である引きこもり青年とお隣と”サンリンボー”に拘る父の話、オカルトな動画配信者と心霊写真の話、ライブ配信者とファンと謎の荷物の話。
いずれにも登場する”助葬師”とは。
SNS・ネットの駆使し方が見事である。
「幸福な王子」とは・・・そういう事か。
此の章までがじわじわ怖かった。
回避しても回避してもアレなんだもん。
「しばたさんだからだいじょうぶ」という呪文を心の中で唱えながら読んでた。
二度読み必須!ではないが何となく「此れって、そういう事か」と読み返している。
此の「スーサイドホーム」も数年おきに読み返すと自分の感性の変化が解ってよいかもしんない。
其れにしても、何でお父さんおかしくなっちゃったんだろうな。
”すじ”はお父さんの方だったのだろうか。
どうでもいいニュース:
「BIG-S」のフリクション版聴かねば、と思った時に直ぐに聴けるからサブスクって便利である。