社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

書評の件

某評論家が本紹介するTikTokerをボロカス言うた(ツイートした)件。
TikTokerが投稿止めるのは某評論家の所為だけではないようだが、心へし折るには十分だったのかもしれない。

本の魅力が伝わるなら、筋違いの批判(書いてない事勝手に想像して批判する、みたいな)さえしなければ、どんなスタイルもアリだと思う。
「素敵滅法界」とか有難く書いてる書評もアリだし、動画で「この本面白いから読んでみて」もアリ。
プロはお仕事としてしっかり魅力を伝える、プロじゃない人はプロとは違う形で魅力を伝える。
相互補完だと思うのだが。
そして見る人が「面白そうだな」と思えば読めばよい、「この書評はアテにならない」と思えば其の人の書評は見なくてよい。
個人的には面白ければどっちでもいい、ただ筒井康隆の「残像に口紅を」が復刊した、そしてワテが読めた事に感謝している。(我儘か)
あと普段本を読まないよーって人が筒井さん読むという現象が面白い。たまらん。

「YouTuberが絶賛」みたいなんが薄っぺらく見えるのはツールではなく、そういう場合の紹介の仕方が安易だからなんでは。
矢鱈「泣ける」「切ない」言うだけ、「あの人が絶賛!」だけ、商品と自撮りどっちがメインやねん!とか。
其処で書評家の出番でしょう、どう心動かされるか、どういう意義があるのか(無いのか)を語って(書いて)「読みたい」「買いたい」と思わせる。
議論を呼ぶ人もいらっしゃるんでしょうけども。
某評論家は手当たり次第に腐すんじゃなくて「私だったらこうするわい」ってやってみたらよかったんちゃうん。
お金にならない、品位・プライドに関わるからダメですかそうですか。

但し「粗筋だけ書いて『いかがでしたかブログ』みたいな締め方する奴」は厭だ。
何かあるでしょうよ、「いくらミステリーでも10人は死にすぎだと思います」とか「ブワーッてなったかと思ったらガーッてなってドーン」とか「感想が書けない」とか、読んだ人が感じた事が。
件のTikTokerのインスタが「ホニャララな小説まとめ」でタイトル・粗筋のみでウムウ、とはなった。
まず「この人がそう言うなら読んでみよう」と惹きつけてTikTokで具体的に喋るよー、なのかな。
(あと個人的に1枚目のサムネ的な写真に写ってる本が紹介には挙がってなくてなんでやねん、ってなった。ジャンルに応じて使いまわししてるんだろうと思うが)