社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

誰も調べなかった日本文化史 土下座・先生・牛・全裸

こんなにいいお天気の日は、連結バスで元町・ハーバーランドらへんをぐるぐる回っていたい。
あと少しの辛抱である。

「誰も調べなかった日本文化史 土下座・先生・牛・全裸」(パオロ・マッツァリーノちくま文庫)読んだ。

土下座、先生、全裸、名前、牛、牛乳・・・新聞等から拾い上げたデータから「昔はこうだった、って言うけどほんと?」
重箱の隅突きまくって爪楊枝の先けばけばみたいなん出てきちゃうくらいの容赦ない勢いと細かさ。
そういう地道な捜査が、社会学らしいよなー、と。
(著者は社会学専門の方ではないそうだが)
昔は新聞の一面は広告だけでライバル紙からのお知らせも掲載されていたそうだ。
広告の内容や文章(「!」の使われ方とか)からも色んなものが見えてくる。
牛乳の臭いから殺菌法、そっから嗅覚とグルメレビューの信憑性・客観性へと話が繋がっていくのが面白い。
こういうの好き。
昔は土下座の意味が今と違っていた(畏敬の目的だったそうだ)、先生という言葉は敬意だけじゃなく軽蔑も込められていた、ガチ裸族は普段から裸足で生活してるから足の裏が硬い、牛乳の臭いの理由・・・知ってたからドヤれる訳でもないが知らずにドヤってるとちょっと恥ずかしい、或いは知ってるとちょっと楽しい。
”知る”という面白さがあった。

メディアリテラシーについて「マスコミもネットの意見も学者も専門家も評論家もあなたも私も全員バカである、って前提で、本や新聞やネットを読むだけでいいんです。」(p.14)とあって、成程と思った。
フラットな目線で・・・となると難しそう、でも全員バカという位置から見たら?
あと滅亡論。私憤を大義にすり替えるための装置。
すぐ滅ぶだの破滅だの言うの、楽だよなあ。
すぐ憂いて、ああするべきこれは止めろって”忠告”するの、すっげー気持ちいいんだと思うぜ。自分と違う奴らを見下げられて。
結局国だの世界だのは滅びてない。身近な所から守っていかねば。
・・・という感じで今SNSでトンデモ論が横行してるんだろうか。あちこちでわあわあやってるけど。
其れだって楽だよな、自分の気に入らないのあーだこーだ食ってかかってハイ論破!だと。
結局、何時の時代も、新コロ禍でも人間変わんないのかも、だ。

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