社会学的ラブソング・改

音楽と本とお茶と美味しいものと面白いもので出来ている。あんまりはてブされたくないです・・・。

怪談聖 あやしかいわ

緊急事態宣言、延長。
解ってた。そうなると思ってたし寧ろ「まだ解除はあかんやろ」と思っていた。
しかしライブどうなるんだろう・・・ミリキューは延期。
そのうち「オリンピックと重なるから延期(or中止)」とか出てきそうで、厭やなー。
で、秋くらいに延期するとまーたぶり返した新コロの影響で「ライブはダメ」ってなったりしてそうで、厭やなー。
思い切って来年!・・・てのを去年やってこの体たらくだったような。
でもオリンピックはやるし、屋外でも密はダメなのにパブリックビューイングの為に木切っちゃうんだろ?
解せぬ。

「怪談聖 あやしかいわ」(糸柳寿昭/竹書房怪談文庫)読んだ。

表紙こわくない!有難みすらある!
一つ一つの話は短く(長いのは分割されているものも)、取材時の会話を可能な限り再現。
全編会話なのが興味深い。
話し手の顔が見える、その話し手が余裕あったり差し迫ってたり。
時には聞き手が話し手に語る事も。
色んなバリエーションがある。
怪談って”談”とある位なんで話し、語られるものなんだよなー、と改めて思う。
其れを文字として書き記すとなると、「視えるようになる」みたいな叙述トリックぽい怪談も成立するし。(因みに此れめっちゃええ話。)
ただ、たまに読みづらいのがある・・・。
会話形式じゃなかったら地の文なんだろうなーって部分も語り手が糸柳さんに語ってるので「」で括られてる。
台本みたいな

A「昨日、何処其処おったやろ」
B「え、知らんで?」

みたいに誰が話してるのか明示されてる形式があってもよかったような気がした。
そうなると「え、Bさんが語ってるのかと思ったらAさんが話してたん!」みたいな驚きが失せるのか。。。
まぁ自分があほだから「え!?」ってなっただけで、普通の人は解ってはるんやと思う。

此の本が面白いなぁ、此れすげえなと思ったのが、あとがきとして各話に一言ずつツッコミ入ってる事。
裏話、所謂”タテ書き”(ヨコ方向だけど)仕掛けてある事・・・等等。
身も蓋もないのんとか。
たまに“増して”るのもある。詳しく語られないのが余計怖いというか。いやそっちの方が気になりますって。
最後の一言でギャーッ!てなる、あれを本編(?)だけじゃなく、もう一段階後でやられる怖さ。
直後じゃないのがまた刺さるっていう。1話ずつあとがき読んでも良いし、後で一気に読んでも良い。
気が抜けません。其れが怖い。良い。

ただ語られたモノを書き記すのではなく、こういう形式を取るのって、或る種の発明なのかもしんない。

印象に残った話。
・「当たり前の権利」
自分がどんな人間かを見失わせる祟り、効果的な祟りだな。
其れ証明しちゃってるし。
・「もしもし、ヤバイ」
これ一方的に掛かってきたん?其の事が怖い。
・「命乞いする霊」
何処か解らんのが怖いし、色々想像できちゃう分、引き込まれる。
福澤さんの「忌談」シリーズに混じってても違和感無いかも。
・「終わってる会」
終わってる。
土地に縛られてしまったら、建物が無くなっても来ちゃうのかねぇ。
・「箱に入った人形」
次の持ち主の所に行く為に、占い師のとこに来ちゃったのかねぇ。

どうでもいいニュース:
そういえば落語の本で会話続くとこって、誰が話してるのか明示してあるんだろうか。
噺だと声の調子や身振り手振りで解る、文字だけの場合はどうなるんだっけか。